2024年02月05日

(仮)秦・長宗我部氏の会、全国連合会発会式【3月9日】

✨ 講演会の内容は・渡来人秦氏と古代日本 午後1時〜

講師 田中英道(東北大学名誉教授、文学博士、日本国史学会代表理事)

💡 講演会は午後1時〜 パネルディスカッションは午後3時〜

武田勝頼土佐の会も協賛をしております。

勝頼は諏訪四郎勝頼とも呼ばれ、母は諏訪の由布姫。そしてその諏訪大社の建造には秦氏が関わったとも考えられております。

また、この高知県にも秦氏(渡来人たち)の痕跡が色濃く残り、それは神社の祭神や、伝統的な文化であったりします。

その秦氏を全国の関連する各団体と共に連携、顕彰をする会の発会式をこの高知県で出来る事は素晴らしいことです。

著名な先生方のお話を楽しみにしております。参加は無料ですので、ぜひともご参会下さい。

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発会式

日時 令和6年3月9日(土)

場所 高知県立高知城歴史博物館

共催                 協賛

長宗我部顕彰会(高知県高知市)    武田勝頼土佐の会

秦氏を学ぶ会(兵庫県赤穂市)     越知平家会

秦歴史遺産保存協議会(岡山県総社市)

岡山歴史研究会(岡山県岡山市)

総会・・・司会 片岡昌一

開会挨拶 10:00〜 長宗我部友親(長宗我部氏第17代当主)

開会 10:10〜

議題

  • 議長選出
  • 会の目的  我が国の宗教、文化、産業の発展に貢献した秦氏の功績を顕彰し、我が国に在来の先住民との融合を顕彰することにより、世界平和の昂進に寄与する。(案)
  • 会の名称
  • 役員選出

会長

副会長 2名

幹事長 1名

連絡幹事(各団体より1名選出)

顧問 田中英道(東北大名誉教授)他数名

事務局長及協力者

広報委員 数名

  • 本部の住所・・・候補 高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1(仁淀川歴史資料館内)
  • 関東支所・・・候補 神奈川県横浜市北区鳥山町848-5
  • 活動方法 毎年1回各団体持ち回りでサミットを開催し、活動発表を行う。

年に1〜2回位会報を発行する。(本部事務局にて)

  • 運営費用・・・原則協賛による。

閉会 12:00

休憩

基調講演 13:00〜14:30・・・田中英道氏(東北大名誉教授)

演題   渡来人秦氏と古代日本

休憩

パネルディスカッション 15:00〜16:30

コーディネーター 片岡昌一

パネリスト    長宗我部友親

パネリスト    田中英道

パネリスト    各団体代表


楽しみですね!どうぞ宜しくお願いいたします!😃

posted by makkun at 14:12| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月31日

年末年始の八幡宮ライトアップ!

今年もわずかとなりました。
皆様にとって、今年一年はどのような年だったでしょうか?

大崎八幡宮では、コロナ禍からの復活に向けて動こうと、
3月には生天目の陣
7月には例祭、10月には玄蕃祭りに鉄砲隊演舞、
11月には秋の例祭を平常通りに行いました。閑散とした時もありましたが、
現在は序序にですが、人も戻りつつあります。

12月23日からは参道のライトアップが始まりました。
まず、4年前の年越しキャンドルの画像です。
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2019年にかけて、キャンドルの点灯を行いました。
10年以上行って来ました。
しかしながらコロナ感染が広がりを見せ、その年から一切の行事を中止、
その間に、この行事を主導してくれていた方の他界から、復活は困難であろうと思いました。

ですが、神社に目を向けようと取り組んでいた年越しキャンドルの思いは絶やさないようにしたいという思いから、
せめてライトアップで目立たせようと計画し、氏子の若い力で、ライトアップを
2023年12月23日〜2024年1月4日朝まで行う事となりました。

現在の様子がこちらです、実はレインボーカラーということにして、RGBでフルカラーライトアップしています。
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写真では分かりませんが、実際に行くと綺麗です、色の変化が良いですね!

もちろん神社の準備もばっちりです。
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大崎八幡宮、鳴玉神社、長生教本院、各神社

令和6年(2024年)甲子(きのえね)一粒万倍、天赦日、大安からスタート
2024年が皆様にとって、輝かしく健やかで、素晴らしい年になりますように!


posted by makkun at 18:32| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月28日

土佐に山本勘助の墓!

以前から山本勘助は土佐から出た人物だという話は聞いた事がありまして、
それを題材にした「土佐から来た山本勘助」という小説も出版されております。

そのような伝承を聞いたことが何度かありましたので、何か情報はないだろうかと思って10年余り、、
山本勘助の墓があると聞いた時にはテンションが上がりました😃
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こちらが山本勘助の墓です。
そのように伝わり、地域の人たちに祀られておりました。
まさかこんな近くにあるなんて! 
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佐川町の四ツ白という地域に、山本家の神社が祭られています。
その少し手前にあの山本勘助の墓がありました!山本勘助の息子も同じ名前なので、息子の墓なのかもしれません。
この土佐の佐川町四ツ白 なぜ四ツ白というのだろうなー、
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四ツ白の山本家(山本家の先祖をまつる神社)の家紋は、
丸に四菱(丸に四つ目菱)という家紋です。
やはり、地名も家紋も四菱を暗示しているかのような気がします。

山本勘助の墓に出会えた事に心から感謝し、お祭りは9月の末とのことですので、また来年には参拝したいです。
山本家が集う良いきっかけになれば、また新たな発見につながるかもしれません。✨


posted by makkun at 00:00| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月02日

玄蕃祭り2023!長宗我部鉄砲隊演舞!

本年も玄蕃祭は盛大に行われました
令和5年(2023)10月1日(日曜日)

大崎八幡宮は歴史を辿ると、天正14年(1586年)の6月15日に、大崎玄蕃により武田八幡宮、正八幡宮として建立されたと伝承があり、
建立と共に始まったのが玄蕃祭で、旧6月15日に行われていたものが、現在は大崎玄蕃慰霊祭に併せて旧8月25日に行われるようになりました。さらに日曜日でないと若者が参加できないという事で、日曜日に開催されるようになったという経緯があります。😃ちなみに、大崎八幡宮は川井神社や河合神社とも呼ばれており、その名称で登記されておりましたので、神社明細帳には、川井神社で載っているかと思います。

大崎八幡宮の玄蕃祭祀から、鳴玉神社までのおなばれ。神社の境内でも鉄砲隊の演舞が行われました。
「放てー!バン、バンバンバン」近くに居ると、分かっているのに音に圧倒されます。

◆鳴玉神社 ここが御旅所になりまして、大崎玄蕃のお墓が背後にあり、慰霊祭を行います。
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◆長宗我部鉄砲隊演舞 火縄銃の爆音💥が大崎の町に響き渡ります!!
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◆もちまき
結構な量の餅がありましたので、参加者の皆様はもちろんながら、
取るのが上手な方は餅を袋いっぱい持って帰って下さいました。

●交流会●
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長宗我部顕彰会の皆様や、遠くから参会して頂いた方々との直来の場になりました。
ご協力をいただきました、皆様には心より感謝いたします、コロナ禍の時代から新たな時代への、
節目の玄蕃祭になったと思います。ありがとうございました!!




posted by makkun at 17:20| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月23日

玄蕃祭り10月1日開催!神事〜おなばれ、武者行列&鉄砲隊演舞!

玄蕃まつりも2023年となりました。437年間続く祭りです。
これまでコロナでの自粛、役員の不幸などもあり縮小傾向にならざるを得ませんでしたが、今年も神事はもちろんの事ながら、玄蕃まつりを開催します。玄蕃踊りは踊り子の不足から断念。
 それと、八幡宮への車道は土砂崩れのため、当面の復旧はできず、車で上がれないので、長い階段の道を神社まで歩く必要があります。足腰の大丈夫な方は手すりもつかみながら、気を付けて上がってきてください。
✨★玄蕃祭りのご案内です。✨
10月1日(日曜日)
場所:大崎八幡宮、 庁舎北の鳴玉神社 保育所周辺となります。
午後1時半から神事。少し早い目に始めると思います。
午後2時から、おなばれ、武者行列車道崩れのため、平地(大崎保育所周辺)にて
午後3時、長宗我部鉄砲隊の演舞を行います。
それ以降、保育所周辺にて「もちまき」
神社にて直来。
※大崎八幡宮への車道は土砂崩れのため車では通行できません。


✨玄蕃祭りの由来✨
天正14年6月15日に、八幡宮(大崎)が武田勝頼によって建立され、その時に武田勝頼が霊魂を沈め、病送りの「玄蕃祭り」を伝えたとされております。地元にあった豊年踊りに武田勝頼(大崎玄蕃)も入って踊ったことから、玄蕃踊りと命名されたと言われております。

そもそも大崎玄蕃というのは、律令制の中の外交をつかさどる役職名で、武田勝頼は、天目山より落ち延びて土佐に来た時はまだ「左内」という名に変名して大崎村に居住し、天正14年6月15日に武田八幡宮を建立して「大崎玄蕃」と名乗りました。
以来437年もの間、神事を絶やす事なく、地元の行事として続けられてきました。

懸念されるのは、数年後です。人口の減少も止まることなく、過疎化は続きます。
そのため、運営するスタッフも著しく減少し、神事を続けるのもやっとやっとですが、
地元企業に支えられ、今年も開催ができますことを心より感謝申し上げます。

posted by makkun at 12:59| 高知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月23日

生天目の陣「歴史講演&真田忍軍演舞&トークショー}【その2】当日

11日(土)の歴史講演会、演舞は盛会となしました!10日〜14日に及ぶ交流(継続中ですが)😊
控えめに言っても凄かった、エンターテイメントにまで発展した今回は神回でした。
多くの発見があり、歴史を検証される皆様には本当に頭が下がります。🙏
土佐の武田家の始祖達の魂よ安らかなれ!

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会長あいさつ(岡林照壽)
 本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます!。3月11日、この日は東日本大震災として刻まれておりますが、武田が天目山で滅びた日も3月11日(天正10年西暦1582年)、その時に天変地異も起こり大きな歴史も変わって行きました。その魂を弔いたいと思います。
生天目の陣、その天目山に生きた武田勝頼の家臣が称した言葉です。多くの武田、戦国武将の末裔が今まで近年まで全国で息を潜め、先祖が甲斐源氏武田であることを他言無用として来ました。近年になりインターネットが普及し、情報が飛び交う時代になり、ようやっと土佐の武田、勝頼の伝承を生かせる時代になり、その声に反応し全国(世界)の秘められた歴史が表に出ようとしております。これを通して、魂のつながりに感謝したいと思います。 今日は真田忍者研究会の伊与久松ヮ=Aそれから小山田信茂顕彰の小俣公司氏も大勢でこの土佐の勝頼の地に起こしいただきました。真田と小山田は勝頼の忠臣2つの忠臣方が来られるという奇跡です。野中兼山や谷秦山の武田家との関わりやどうやって勝頼が土佐に来たのか、そういったことを顕彰する会といたします。生天目の陣、開陣です!(略)」

仁淀川町教育長、黒川一彦様よりご挨拶
「(略)本日は生天目の陣歴史講演会が多くの来場者を迎え、このように盛大に開催されますことを心よりお喜び申し上げます。
(略 それぞのパネラーの方々のご紹介と労いの言葉をいただきました)またそれをいかに町おこしに繋げていくのか、今からワクワクしております。まだまだ歴史ロマンの範疇ではあるかもしれませんけれども、将来新たな発見があったり、また科学技術の発達により、ロマンから事実に何かしら変わることがあるかもしれません。そんな夢を抱きながら、本日のご講演を楽しみにしております(略)
結びに、本日の講演会が実り多きものとなり、1人でも多くの方に知っていただき、広がっていくことを期待いたしておりますともに
発表された方々、ご来場の皆様の益々のご活躍とご多幸をご祈念申し上げます」
 本当に丁寧なご紹介をいただき、また開会を円滑に繋いでいただき、誠に感謝いたします。
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さて、今回の目玉は真田忍軍の演舞と講演です。🐉
iyokusan.jpg伊与久松ヮ=B真田忍者研究会会長、伊能氏末裔、真田忍軍であられます。
忍術、武術、太極拳これらの研究と鍛錬、それを普及するため日々邁進。
また、歴史の調査やそのネットワーク作りにも励まれており、今回のような講演会が整いますのも、このお人あっての繋がり。
昨年の武田八幡宮創建1200年と、信玄公生誕500年という折に、神前でいただいたご縁がここに繋がっております。
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武田軍団の一角を担う密(三ツ)(忍者)武田24将の中に真田一族があり、武田の武を受け継いだ真田は勝頼公の時代にとくに発揮され、
密(三ツ者とも云われる)(忍者)は全国に散り、武田家の命脈を保つために工作をする、ルートを敷く。
なるほど、全国に敷かれた真田の忍あればこそ、土佐の勝頼もあるのではないかと考えられる。
さらには、秋山虎繁の末裔の方も相模の家に勝頼公が逃れる時にお泊めになったと語られたと、吾妻の古老の方が伊与久様へ伝えた、貴人(勝頼様?)を逃すため西へ船を出した話などなど。
うー興味深い!!
そのようなお話を聞くうちに、土佐の武田、系図に記される勝頼が落ち延びたルートというのにかなりのリアリティを感じました。
生き残るためのサバイバル術からの忍術の話の興味深く拝聴いたしました。
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演舞のド迫力!カッコイイ!ここはカメラマンを用意すべきだった。
1人での演舞でしたが素晴らしかったです。武田八幡宮で初めてお目にかかり、真田忍軍という存在を知りました。
それまでと忍者のイメージがガラリと変わりました。
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農具や杖を使っての演舞、こちらで用意した農具で美しく鋭い演舞に仕上げる、忍の技にシビれました。
農民なんかに扮して標的を仕留める、それにしても技の

鮮やかなこと
これらの農具や金剛杖は、うちの会員のものです ^^




🔶武田勝頼土佐の会、会長からは新たに系図から判明して来た次々の項目の説明と
「野中兼山と谷秦山の真実の罪」というタイトルで武田勝頼一族との関わりを説く。
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野中兼山と池きさの娘、野中婉、そして谷秦山、一族の悲劇に裏には、武田家との関わりが、
系図から武田家につながる背景を紐解く。こちらは、会長のブログで系図や内容が確認できます。こちらのブログでも詳細を加えて後にブログで何回かにわたり分かりやすく紹介します。
(会場では資料として配られ(有料で)配布されました。

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☆パネルディスカッション☆「戦国の歴史に関わる著名人を招いてのトークショー」
テーマ「武田勝頼土佐生存説と、町おこしについて!!」
トークショーでは、勝頼が土佐に来たルートや背景について、そして町おこしについて語り合う、
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まず、ここにお集まりいただいております、奇跡の面々!
真田信繁公(幸村)と小山田信茂は武田勝頼公の忠臣であり、四百年以上の時を超えて集ったという奇跡の組み合わせ、
それが真田氏小山田氏であります。❖
改めて、パネリストとして紹介しますのは、
真田忍者研究会会長、伊与久松ヮ=B
小山田信茂公顕彰会会長、小俣公司氏。
歴史図書や小説に幅広く活躍される、中津攸子先生。4回目の来町となります。
中津攸子は「日高見の国」「やさしい日本女性史入門」など幅広く歴史に関する図書を出されており、
この度は、武田勝頼が土佐に来たことを小説化して下さるとのこと、感激申し上げます
そして、最後の武田、武田勝頼回想記など数多くの出版を手掛けておられる、片岡昌一先生
コーディネーターは、坂本世津夫先生。愛媛大学社会連携推進機構教授(地域連携コーディネーター)をされ、
当会にも幾度となくお加わりいただき、歴史の裏と表についてよくお話をされ、今回もうまくまとめていただきました。

土佐に勝頼が逃れるのは単なる偶然ではなく、綿密に敷かれたルートであり、
徳川(現代の政権)へのカウンター勢力として機能すべく多くの者が動いたと、明智光秀は土佐に当然来ていて云々。。
香宗我部家は武田の直系であることから、中央とのネットワークのつなぎ役をやっていたであろうこと。。

まず勝頼が土佐へ来るまで、最後まで武田家を支え玉砕した土屋惣藏、勝頼逃亡を企て策略を手助けした小山田信茂公、武田家の終焉を演出した両名は命を投げ出し優秀の美としたのであり、本能寺の変で明智光秀が織田信長を討つ。ここには長曾我部、斎藤、土岐、朝廷説まである織田信長包囲網や、源平交代論まで交えまして驚くことばかりでした、自分の勉強不足を反省し、このご恩返しによりよい活動がして行こうと思います。
此度の内容のボリュームと濃さは、自分では言葉が足らないくらいです。

肝心の町おこしについては、伊与久先生からは、あっちには有って、こっちには無いもの、逆に、こっちには有って、あっちには無いもの、それを大事にする事、武田の里ネットワークをつないで行くことを皆で賑やかしていく事がこれからの時代には必要なのではないか賜りました。本当にそうであると思います!ここだけにあるものを発展させていく事は観光の強みになります。
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我が家もこのような云われがあるという家がは、どうぞ今こそ活動を共にしましょう!
武田のネットワークさらに深く土佐に浸透させましょう!一緒に!❖
さらに、吾川郡は安徳天皇のゆかりも深き社寺が多い、実は注目すべきところは多いです

これからの時代には、情報告発することは、データ蓄積となり、次世代の研究にさらなる驚きとロマンを与えてくれる事だろうと、
コーディネーターの坂本先生が仰ったとおり、本当にすごい日本の姿が見えてくる時代。まだそれを楽しむ時代が来たのだと思えました。
🔷生天目の陣では、言葉どおりに、我々がこれから生きる道を確認いたしました。🔷

盛会に導いて下さった、中津攸子先生、真田忍者研究会の伊与久様、小山田信茂顕彰会の小俣会長を始め皆様、コーディネーターの坂本世津夫先生、片岡昌一先生、長宗我部顕彰会の皆様方、仁淀川町教育長黒川一彦様のお陰です。武田勝頼土佐の会の皆様ありがとうございます!
本当にありがとうございました!!!✨✨✨

この後は懇親会を行い、そこでは武田のネットワークが繋がれた事を喜び、互いの健闘を称えまして、顕彰をこれから更に深めていく事となりました。🍺 🙏
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【その3へ続く】


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生天目の陣「歴史講演&真田忍軍演舞&トークショー}【その1】

生天目の陣(3月11日2023年)仁淀川町交流センター3Fにて開催されました。
10日(前日の会より掲載)
11日(土)の歴史ロマン講演会、演舞は盛会となしました!10日〜14日に及ぶ交流(継続中ですが)😊
控えめに言っても凄かった、エンターテイメントにまで発展した今回は神回でした。
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❖生天目(なばため)とは、天正10年(3月11日)天目山に敗れた武田の家臣が、
「天目山に生きる!」と称された言葉。
その生天目の第一陣を土佐にて狼煙を上げさせていただき、開幕です。

講演会の前日の10日(金曜日)この日に遠方各地から仁淀川町の大崎にご参画をいただきましたのは、
長野県諏訪より、真田忍者研修会会長の伊与久松ヮ=B山梨県大月市の小山田信茂公顕彰会のい小俣公司会長をはじめ6名の顕彰会の方々。
千葉県の女流作家である中津攸子先生。横浜から高知へ帰郷され、最後の武田などの著者である片岡昌一先生。
愛媛県にて地域連携コーディネーターである坂本世津夫先生。武田勝頼土佐の会の会員。

午後4時半に仁淀川町庁舎前に集合し、町長に表敬訪問。
大月市市長からの親書を小山田信茂公顕彰会の会長、小俣交司氏より、仁淀川町長、古味実氏に手渡し、今回の参会にて表敬訪問を果たしました。
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そして、各々は10日晩を過ごし、勝頼が土佐に来たという談義に花が咲きまして、
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✨11日の朝、武田勝頼公の土佐の墓、鳴玉神社に参ります。
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この墓は、勝頼公とその奥方様が眠る墓で、脇には当時から系図にも記される古い柿木が未だに実を付けます。
それから、一行は、武田信勝と、武田義男の墓へ。
系図から墓である石室に墓標を建立したのはここ十年の間に徐々に有志により行われて来ました。
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🔷そして、おなじみの勝頼資料館。
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会長がガイドをしてまわる定番です。ここには土佐で勝頼にまつわる資料コピーや写真、伝統文化の紹介などがされております。

🔸大崎八幡宮参拝。
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系図には、正八幡宮とされ、ご祭神には武田勝頼公が武田八幡宮より携えてきた木尊像などが祀られております。
一行はこちらに参拝をされました。遠く長野、山梨(信州、信濃)からのご参陣を勝頼公も喜んでおられるのではないかと、そう思うぐらいの優しい天候でした。🙏
小山田信茂公は、汚名を自らかぶろうとも、忠義を果たし、勝頼公を逃がす時間を作られた。
そう忠臣の中の忠臣であります。御神前と墓前にお参りされる姿に、古き絆がつながれた様には本当に感動いたしました。
武田家の忠臣である、真田氏、小山田氏、がこの地に参詣いただきましたことは、後の時代にも語り継がれるでしょう。


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そして、会場である仁淀川町交流センターへ。3月11日(土曜日)武田勝頼土佐の会の新たな陣の開幕です。
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posted by makkun at 13:25| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月05日

文化財調査その2、寺村観音堂「聖観音立像」2月18日

🌸同日に文化財調査が行われたのは、寺村の観音堂です。🌸
2月18日は寺村観音堂のご縁日でもあり、開帳も行われます。(お寺の背後には武田勝頼の三男である正晴の墓と稲荷神社があります)
地元では観音様と呼ばれ親しまれております。
 古くには諏訪様と呼ばれていたとのこと、このお寺が再建されるまではそのような事もあったと考えています。

現在の観音堂となる前は、
「流光山成福寺(りゅうこうざんせいふくじ」とされ、
長宗我部地検帳(国重要文化財)には成福寺と記されており、
さらに、土佐に残る3つの武田系図からもこの寺は武田勝頼により
天正13年(1585年)菩提寺として建立されたものだとされております。
仏像「聖観音立像(平安後期のもの)仁淀川町文化財指定」は勝頼が携えて来たご神体の1つだと伝わります。✨

✨ありがたくも、
ご縁で以前からこの場所を紹介をさせていただいておりました、
シンガーソングライターの菊池由布子さんからは、歌の奉納を
さらに、龍笛奏者の梅田恵様と、ご友人の仏師である吉田沙織様、ご両名による龍笛の奉納なども
いただき、なんと麗しくも厳かな響きで寺に響き渡り感激です。🎵
ご三名の演奏を心よろ感謝申し上げます!

🎸
IMG_9045.JPG菊池由布子様による歌とギターによる演奏、奉納。
歌詞にも気持ちが込められており、それを画像でお伝えできないのが残念です、ギターの弾き方も雰囲気にとても合っておりました。





🐲龍笛による雅楽の奏上。🐲
まさに龍の音、お二人の息が合って、凛とした厳かな雰囲気になり、
素敵な奉納をされました。皆様には感謝申し上げます。
ありがとうござました!!!(人''▽`)ありがとうございます☆

🔸この寺と武田勝頼にまつわることを、ご紹介
諏訪の観音院の中島住職様の調査で分かったこと
🔷お寺の名前の一致「龍光山正福寺=流光山成福寺」
🔷勝頼の母君の戒名の一致「乾福寺殿梅巖妙香大禅定尼」

諏訪の龍光山観音院は、昔は「龍光山正福寺」という名で存在してありました。
地元の庇護が受けられなくなった時代に現在の地から、川岸の駒沢という地に移転しております。

 そしてそこで新たに「龍光山昌福寺」という寺を建立しました。
それで現在のお堂は、その時の昌福寺が管理祈願所として存在していました。
 (観音院も昌福寺もご本尊様は同じ十一面観音です。)
正福寺→昌福寺にしたのは音を残しつつも、区別をするために漢字は一字変えたとも考えられます。

 更に現在、川岸の駒沢にある「龍光山昌福寺」には
武田勝頼から昌福寺住職に当てた「安堵状」が有り、
内容は「今まで昌福寺のものであったものは、これからも昌福寺のものである」
 この安堵状は現在は岡谷市指定文化財になっております。

推測ですが、
@「龍光正福寺」A「流光山成福寺」
現在の呼ばれ方は @リュウコウザンショウフクジ Aリュウコウザンジョウフクジ

漢音・呉音を組み合わせて読むと@「リュウコウザンセイフクジ」 A「リュウコウザンセイフクジ」
--------(中島住職様が考察されました)
なんと同じ音になりますexclamation×2つまり寺の名前は一致しているとの考察になります。
考察というよりも、これは確かに同じであると言っても過言ではございません。

 寺院の名称がキーワードとして繋がりを見せるとは、本当に驚くところでございます。ひらめき

 前回のブログでも書きましたが、
■諏訪の龍光山観音院(旧:正福寺)は勝頼の母君が過ごされた場所
■土佐の流光山成福寺にある厨子の1つは、諏訪にあるものと一セットの可能性がある考察
■「りゅうこうざん」という名称の一致、今回では寺の名前まで一致しました
■土佐の寺は勝頼が建立したものである
■寺の建ってある場所が、諏訪の観音院(旧正福寺)の建ってある場所を彷彿とさせ、仁淀川を見下ろす風景が、諏訪湖を見下ろす風景によく似ている。

系図に出てくる寺名や戒名から、これだけでも多くの繋がりが見いだされます。
また、これらの仏像は昔は神社のご神体であった可能性もあると言われております。そうですね、昔は神仏の区別は無かったと思いますので。


🔸系図とこの成福寺
武田家系図(土佐のです)には
人王始祖神武天皇より56代帝位・清和天皇から続く系図で代々鎮守府の将軍職ですが、
5代目の頼信が初めて甲斐守と出てきます。
7代目の義光(よしみつ)は武田家元祖也と書かれいて武田家の始祖とされております。
 その義光(よしみつ)を武田の元祖として、
武田家として2代目の義清(よしきよ)は甲斐国を領し、
義清は甲斐武田家の元祖となります。源義清(みなもとのよしきょ)とも呼びます。
土佐の系図には、この義清に初めて「成福寺贈号に云」と記されております。

12代の盛行の次男である時信の時代に安芸(広島)へ移り活躍し、
再び甲斐に帰り繁栄は武田信玄公に至ると記されております。
その何れの者にも「成福寺贈号と云」と記されております。

甲斐武田流11代信成には「快川和尚謚号云」が数か所記されております。「成福寺贈号と云」
19代の晴信(武田信玄公のことです)(法性院機山信玄)。
新善行寺に葬る、と系図には記されております。一般的な説では恵林寺に葬られています。
戒名は、恵林寺殿機山玄公大居士神儀

20代は武田勝頼(諏訪四郎・伊那四郎・(土佐では佐内、それから矢野民部、大崎玄番尉と変名)
戒名には成福」が含まれ戒名は右の通り「成福院殿栄秋道勝大居士」
さらに興味を引くのは、戒名の中に「秋道」と記されているからです。
秋道とは、勝頼が土佐に頼ったときの香宗我部家の初代が秋通(あきみち)であったので、
戒名にも示すことになったのかとも思います。

上記にキラキラで示した部分を説明します。
 「成福寺贈号と云」と「快川謚号に云」に共通するのは、甲斐源氏の武田です。
簡単に言えば、鎌倉時代から続く成福寺も、快川和尚も、甲斐源氏武田のルーツであり、
古より嫡流として関係が深いからです。
 それをさらに説明をするとですね。 なんと土佐に正当な末裔が続くのです。
成福寺は鎌倉にあり、貞永元年(1232年)、
鎌倉幕府の三代執権北條泰時の末男、北條泰次により成福寺は建立されております。
それから、血脈は子孫へ受け継がれ、
4代目の甲斐源氏の武田信義の時代に源頼朝を助けて、平家打倒に貢献しますが、勢力が大きくなりすぎて頼朝に力を削がれ、
子供の一条忠頼(武田嫡流)は鎌倉に呼び出され殺されます。
この一条忠頼(武田嫡流)の子供である秋通(武田嫡流)が1193年に土佐に派遣され、後の香宗我部家となり、
400年後勝頼が香宗我部池を頼り土佐に入ると系図に書かれています。✨
 
快川は快川 紹喜(かいせん じょうき)快川国師とも言われ、武田信玄に招かれて恵林寺に入寺した人物です。織田信長の子である信忠が甲斐に侵攻したときに武将の六角義定(ろっかく よしさだ)を匿ったことで他の僧侶たちち共に山門で炙り殺されることとなりました。
系図の最後に12名の戒名がありますが、土屋惣蔵が快川を含む4人の和尚に相談し報告されたことが記されており、信玄にも報告したのではないでしょうか?
 上記から、この系図が恵林寺の快川国師が作成に関与された痕跡を匂わします。


❖ここの文化財は「聖観音立像」町指定文化財の詳細❖
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文化財詳細
・(仁淀川町)吾川村寺村1559番地1の寺村観音堂に安置されている。
・像高 67.0センチメートル
・年代 平安時代’(高知女子大青木淳教授の調査を代表として関係各者からもそう評価されている)
・形状 ケヤキ材料一木造。宝髪、天冠台、白亳相をあしらわし、耳朶は環状とする。
   彫眼。三道彫出。
   左手は屈臀し、右手は垂下する。条帛、裳を付け、天衣を両膝に上下二段に渡し蓮肉上に立つ。
   頭部に後世化仏を嵌込んだと思われる穴が10カ所見える。
・構造 頭体幹部を通じて一本造。白亳嵌入。両肩先を寄せ、両手首先及び両足首先をつぎ、更に天衣右側面をつぐ。
・欠失部  白亳。持物。
・後補部 両肩先。両手首先。漆箔




posted by makkun at 13:22| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月03日

文化財調査研究、大崎八幡宮「正八幡宮御本尊御神体」2月18日

2023年2月18日の午前九時より、
文化財調査の見学等を、大崎八幡宮からスタート。参加者は20名近くになりました。

◆町指定の文化財に登録されているのは「木像の御神体」「神鏡一面」となります。

すぐに禊ぎ祓いをし、御正体の拝観を行うため、社殿の扉の奥、中心にある「12尊木像」(武田勝頼が、武田八幡宮から携えて来たものと古くから伝わります)を、調査員の見やすい場所に移し、
手鏡を3本と、武田菱の入った刀の鍔を1つを拝観していただきました。
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刀の鍔に関しては、初めてお見せするものとなります。これは宗教法人長生教の本院にあって、古来は八幡宮に納められたものではなかと思っています。
。時間があれば、中にある、奉納されたものを全部見てみたい、そんな気がしますね。御神体の中には、「玄蕃」「美都枝」など6〜7体の箱が納まっており、こちらも近く調査という名目を立てて拝観をしたいと思います。

◆神官系図(岡林神官の系図です。)右端がはじまりで、左に向けて読みます。
この3つの画像は右端の人物が、大崎玄蕃頭源勝頼建立とあり、
次に甲斐守岡林勝貞で、正八幡宮の初代神主と書かれてあります。

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こちらの系図の右端の部分から奉納されたものを、文字にすると。
「土佐國吾川郡片岡郷大崎村川井鎮座  正八幡宮 天正十四年丁亥六月十五日
 願主 大崎玄蕃頭源勝頼建立  神主 岡林甲斐守源勝貞
 右 八幡宮御神躯十二尊木像安置之  神鏡一面 弊串一本 奉納有之」

つまり、12尊木像と神鏡一面は確実に奉納されたものであることが分かります。
刀の鍔は、大崎家の子孫の方が奉納されたとの事で、大事に保管されております。

さて、この木像、後の時代に分祀されます。
この大崎八幡宮からすぐ直線にして500mほど東の葛原にある八幡宮に2体が分祀され、
大崎八幡宮には10体が現存しております。

◆神鏡一面につきましては、複数在る中のこれであろうとなったのは、
高野山に所蔵されている武田勝頼の肖像画の袂(たもと)の家紋と鏡の裏面に描かれている剣に花菱が一致することから、
天正十四年の建立時に武田家の御本尊と一緒に奉納されたものと考えられております。


大崎八幡宮と、武田八幡宮とは兄弟神社なのか(会長の考察)

資料伝承から
1,武田家系図から天正14年(旧暦6月15日)勝頼建立と検知
2,御神体は武田氏始祖(12体神像)武田家及び神官系図から検知
  ・御正体は勝頼自ら携えて来たと、高知県史から検知
  ・武田八幡宮からと口伝で伝わって来た。
  ・武田家系図の巻末に12名の名前と戒名が書かれていて、土屋惣蔵が報告した記述からして武田信玄公に報告したと思われる。
3,鳴玉神社(鳴王神社)に勝頼と三枝夫人(さえぐさふじん、みつぎふじん)が祀られる墓所がある。
4,寺村観音堂「流光山建立」と武田家系図の勝頼欄に記述あり。
  ・寺名は「流光山成福寺」地検帳から検知、信玄他の位牌があったと土佐の武田家系図に記述有り、今は処分されて無い。
  この系図の同欄に、正八幡宮建立と記述あり。
  ・勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大禅定門 と武田家系図に記される。
5,神官系図に12尊木像 神鏡1面 弊串1本奉納安置とある。


この12尊木像には、それぞれの人物であると伝わります。
誤字があるかもしれません、ご指摘ください。

  名前        戒名
1 新羅三郎義光公   誠忠院殿榮國義徳大居士 甲斐源氏初代
2  同 御内室    壽仙院殿浄月輝白尼大姉
3 相模守義業公    浄光院殿静國壽勝大居士
4 治高兵衛義定公   大泉院殿香巖常寛大居士
5 武田刑部三郎義清公 清願院殿常春寂念大居士 二代目
6  義清 御内室   晴雲院殿深惠慈貞尼大姉
7 四郎兵衛義仲公   松林院殿瑞雲道清大居士
8 逸見黒源太清光公  白巖院殿觀正義深大居士 三代目
9 武田刑部三郎師光公 常觀院殿梅雲快旭大居士
10 同 御内室    西養院殿瑞雲貞琳尼大姉
11武田太郎信義公   瑞蓮院殿樻勝光邐大居士 甲斐武田四代目
12加義治郎成光公   無記名
  出典:武田勝頼土佐の会



同日の調査に続きます→
posted by makkun at 12:27| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月01日

武田家との血統を究明する新書籍「野中兼山と谷秦山の真実の罪」刊行

会長による新出版物のご案内です。

「野中兼山と谷秦山の真実の罪」刊行 全56ページ
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近代土佐藩の礎を築いた、大いなる政治家である「野中兼山」

罪なき一族が40年間幽閉され、野中兼山の死後に幽閉が解かれた、なぜ幼い子供にまで及んだのか。

土佐南学で名高い「谷秦山」

多岐に亘る学問を探究、開国への情熱、人間解放の偉業を成し遂げた者を抹殺するには何か理由がある。

・土佐の武田家系図を元に、
武田家の血統がどのように関係していたのか、長年に及ぶ考察がされ、その謎を究明していく第一弾としての発行されました。
発行年月日 令和5年1月。 (税込み価格1,000円)

✨3月11日の歴史講演会ではこの内容について会長が講演を行います。

谷秦山・野中兼山とその一族の悲劇、尊敬と弔いの念で考察し出版されました、ご興味のある方は
当会の会長からの直接購入となります。

◆書籍の申し込みは、下記の通りです。◆
メールアドレス:kindsea@shirt.ocn.ne.jp
電話番号:0889-20-2003
担当:武田勝頼土佐の会 岡林

posted by makkun at 12:24| 高知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする