2024年12月31日
年越しイルミネーション令和6→令和7へ
2024年11月15日
◆大崎八幡宮の秋祭り2024年11月15日◆
2024年10月11日
大分戸次古戦場祭りに参加 10月9日
2024年10月07日
玄蕃祭り2024!忍者体験から大崎八幡宮〜おなばれ10月6日
2024年09月03日
真田忍者の実技・講演!〜玄蕃まつり(2024)
この事業は、高知県観光ガイド連絡協議会の助成を受けて行っております。
仁淀川町・仁淀川町教育委員会・仁淀川町観光協会及び仁淀川町の観光を考える会の後援を受けて行います
日 時:令和6年10月6日(日曜)午前9時半〜12時まで
場 所:仁淀川町大崎33番地 (宗)長生教神社&境内
講 師:伊与久 松凮(いよくまつかぜ)氏
講演会・忍者体験実技を行います。以下のチラシを参照
駐車場、大崎保育所周辺駐車場及び役場が使えます。
2024年06月05日
第34回設楽原決戦場まつり6月3日土曜日
愛知県新城市竹原・・・・・設樂原古戦場にて慰霊祭参列。✨
今年は久しぶりに参加しました。前日に奥三河に宿泊していて台風を逃れられた。
当日は高速道、一般道全て台風のため通行制限が有り、関東方面から出席する方は不参加
その中で、山梨県韮崎の武田の里をまもる会だけは3時間遅れで参加されました。
到着まで資料館でまっていてお会い出来ました。
短い時間ですが交流はd出来ました。又来年会いましょう。
信玄塚の墓前設楽戦没者塚「勝頼公の墓所鳴玉神社遺影を捧げる」
慰霊祭参列者に参列。
設楽原をまもる会、前会長と私
勝頼墓所「鳴玉神社」遺影と共に参列。焼香にも胸に抱き一緒に参拝。
祝出版!秘史 武田勝頼の真実ー勝頼は生きていた!中津攸子先生著
2024年02月05日
(仮)秦・長宗我部氏の会、全国連合会発会式【3月9日】
✨ 講演会の内容は・渡来人秦氏と古代日本 午後1時〜
講師 田中英道(東北大学名誉教授、文学博士、日本国史学会代表理事)
💡 講演会は午後1時〜 パネルディスカッションは午後3時〜
武田勝頼土佐の会も協賛をしております。
勝頼は諏訪四郎勝頼とも呼ばれ、母は諏訪の由布姫。そしてその諏訪大社の建造には秦氏が関わったとも考えられております。
また、この高知県にも秦氏(渡来人たち)の痕跡が色濃く残り、それは神社の祭神や、伝統的な文化であったりします。
その秦氏を全国の関連する各団体と共に連携、顕彰をする会の発会式をこの高知県で出来る事は素晴らしいことです。
著名な先生方のお話を楽しみにしております。参加は無料ですので、ぜひともご参会下さい。
発会式
日時 令和6年3月9日(土)
場所 高知県立高知城歴史博物館
共催 協賛
長宗我部顕彰会(高知県高知市) 武田勝頼土佐の会
秦氏を学ぶ会(兵庫県赤穂市) 越知平家会
秦歴史遺産保存協議会(岡山県総社市)
岡山歴史研究会(岡山県岡山市)
総会・・・司会 片岡昌一
開会挨拶 10:00〜 長宗我部友親(長宗我部氏第17代当主)
開会 10:10〜
議題
- 議長選出
- 会の目的 我が国の宗教、文化、産業の発展に貢献した秦氏の功績を顕彰し、我が国に在来の先住民との融合を顕彰することにより、世界平和の昂進に寄与する。(案)
- 会の名称
- 役員選出
会長
副会長 2名
幹事長 1名
連絡幹事(各団体より1名選出)
顧問 田中英道(東北大名誉教授)他数名
事務局長及協力者
広報委員 数名
- 本部の住所・・・候補 高知県吾川郡仁淀川町大崎340-1(仁淀川歴史資料館内)
- 関東支所・・・候補 神奈川県横浜市北区鳥山町848-5
- 活動方法 毎年1回各団体持ち回りでサミットを開催し、活動発表を行う。
年に1〜2回位会報を発行する。(本部事務局にて)
- 運営費用・・・原則協賛による。
閉会 12:00
休憩
基調講演 13:00〜14:30・・・田中英道氏(東北大名誉教授)
演題 渡来人秦氏と古代日本
休憩
パネルディスカッション 15:00〜16:30
コーディネーター 片岡昌一
パネリスト 長宗我部友親
パネリスト 田中英道
パネリスト 各団体代表
楽しみですね!どうぞ宜しくお願いいたします!😃
2023年12月31日
年末年始の八幡宮ライトアップ!
現在は序序にですが、人も戻りつつあります。
しかしながらコロナ感染が広がりを見せ、その年から一切の行事を中止、
その間に、この行事を主導してくれていた方の他界から、復活は困難であろうと思いました。
ですが、神社に目を向けようと取り組んでいた年越しキャンドルの思いは絶やさないようにしたいという思いから、
2023年10月28日
土佐に山本勘助の墓!
それを題材にした「土佐から来た山本勘助」という小説も出版されております。
そのような伝承を聞いたことが何度かありましたので、何か情報はないだろうかと思って10年余り、、
そのように伝わり、地域の人たちに祀られておりました。