2023年02月01日

武田家との血統を究明する新書籍「野中兼山と谷秦山の真実の罪」刊行

会長による新出版物のご案内です。

「野中兼山と谷秦山の真実の罪」刊行 全56ページ
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近代土佐藩の礎を築いた、大いなる政治家である「野中兼山」

罪なき一族が40年間幽閉され、野中兼山の死後に幽閉が解かれた、なぜ幼い子供にまで及んだのか。

土佐南学で名高い「谷秦山」

多岐に亘る学問を探究、開国への情熱、人間解放の偉業を成し遂げた者を抹殺するには何か理由がある。

・土佐の武田家系図を元に、
武田家の血統がどのように関係していたのか、長年に及ぶ考察がされ、その謎を究明していく第一弾としての発行されました。
発行年月日 令和5年1月。 (税込み価格1,000円)

✨3月11日の歴史講演会ではこの内容について会長が講演を行います。

谷秦山・野中兼山とその一族の悲劇、尊敬と弔いの念で考察し出版されました、ご興味のある方は
当会の会長からの直接購入となります。

◆書籍の申し込みは、下記の通りです。◆
メールアドレス:kindsea@shirt.ocn.ne.jp
電話番号:0889-20-2003
担当:武田勝頼土佐の会 岡林

posted by makkun at 12:24| 高知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月30日

歴史講演会!3月11日開催決定!生天目の陣!

歴史講演会として、先生方をお迎えし、真田演舞をはじめ、
土佐の武田勝頼伝承と、野中兼山、谷秦山にまつわる口伝を考察した講演を武田勝頼土佐の会の会長が行います。
天目山の戦いは、未来への希望であった。

コーディネーター:坂本世津夫氏
パネリストには、中津攸子氏、伊与久松ヮ=A片岡昌一氏、岡林照壽会長、他ゲストあり。

講演会名は「生天目の陣」

(なばためのじん)

今回の講演会は、奇跡というべき内容に展開を経ての開催となります。まさに生天目の風が吹きました。
当初は、総会を催すのに併せての講演会を予定していたのですが、
今回は伊与久松ヮ≠ェご参加を表していただき、大きな会となりました。
 演舞として真田忍術、真田氏旗下、吾妻衆伊与久党後裔の伊与久松ヮ≠ェ演舞下さいます。
泉州伝日月流武術の最後の伝承者、伊藤貞三の孫として幼少より祖母や父に武術を学ばれ、現在は真田忍者研究会会長と務められておられ、
その活動は、日の本でも随一の輝きを放たれておられます。
 その忍術をありがたくも講演会にて演舞いただく事が叶い尊く嬉しい限りです。

近年になり、土佐と甲斐の武田の関係性はインターネットをきっかけに広く知られる事となりました。
また集う情報も多く、歴史に愛情を注がれる方たちにとってなんとか支えられており、
新たな陣としてイベントと発展しました。
天目山で最後の戦いをした武田家が目指したものを再考するためのイベントとなります。

秋の陣は10月1日に開催が決定となり。あらゆる力を尽くして頑張りたいと思いますので、応援のほど宜しくお願いします。

生天目の陣の開催日時は
◆3月11日(土曜日)午後1時半〜午後4時
💡ですが、内容が多くなるので、時間を繰り上げての開催もありえます。💡

■場所:高知県吾川郡仁淀川町大ア460−1 仁淀川町交流センター3階大会議室
◆駐車場:仁淀川町大アの駐車場全体。個人駐車場以外。
■内容:野中兼山と谷秦山の真実の罪について。
 演舞:真田忍術(真田氏旗本、吾妻衆忍術)
  トークショー。武田勝頼土佐生存説と、町おこしについて!!

参加は自由ですが、会場は100名までです。
申し込みは、3月10日までに電話・FAX・メールにて。
メールアドレス:kindsea@shirt.ocn.ne.jp
電話番号:0889-20-2003
担当:武田勝頼土佐の会 岡林

後援:仁淀川町教育委員会 仁淀川町観光協会 仁淀川町の観光を考える会
   高知新聞 RKC高知放送


posted by makkun at 19:33| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月12日

大崎八幡宮の清掃。社殿の細部撮影を行いました。

秋の神祭は2022年11月15日(火曜日)となります。

清掃は、社殿(ご神体のある社)、拝殿(みなさんが拝む場所)
境内と参道に分かれて行われます。

年々、高齢化していく中、人数も減少しますので、誰もが将来の事を心配しつつ、
ご祭神への崇敬の念もあり、まだまだ続けていかねば!と頑張っております。
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ここは古くは「正八幡宮」 武田家の先祖を祭り、主祭神は大崎玄蕃彦大神 武田勝頼様であると云われてております。
S__18448396.jpg向かって右扉には、「正」と彫られております。
正八幡宮の「」であろうと思います。下の部分が経年劣化で欠け落ちております。

覚え書きのようになりますが、
社殿は、きれいなタオルで拭き縁(廊下)は社殿用のホウキで掃きます。

普段は見る事はない、社殿の細部写真を掲載させていただきます。全部ではありません。

■左の脇障子と付近の組物や板■
鶴と亀が彫られています。

■右の脇障子と付近の組物や板■
鬼と戦うヒーローと馬(どっちかというと鬼優勢に見えます)

■虹梁(こうりょう)付近の彫り物、まだ色が残っています■
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■手挟(たばさみ)■
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こちらも赤い色がよく残っています。

■木鼻(きばな)■
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ここは大体がバク(幻獣)が彫られています。

■頭貫(かしらぬき)付近の彫り物■
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■御扉の上の彫り物■
うーむ、寅が2頭でしょうか? 詳しい人がおれば教えてほしいですね。

仁淀川町に現存する社殿は、
長州大工が気合いを入れて作ったようで、どこの神社も彫り物が素晴らしいと評判です。

■大崎八幡宮は過去を遡れば、
大崎玄蕃(勝頼公)が来る以前は、大崎城として存在し、
大崎玄蕃が来てからは、正八幡宮として天正14年6月15日に建立されます。
明治に、周辺の神社が統廃合され、川井神社となります。
このとき、ご神体は土に埋められ隠されていたと聞きました。大事な書物や系譜は関係者が持ち出し時が至るまで管理される事になりました。

昭和の時代に入り、
武田勝頼公を祭神とする特殊性から、神社庁のさまざまな影響をさけるため、
独立して宗教法人として登記。
このとき、通称は大崎にある八幡宮、大崎八幡宮で通っておりましたので、
現在は大崎八幡宮として登記されます。
今の時代を待ち、大崎玄蕃は武田勝頼である、と宮司により公表されました。

古くより、大崎玄蕃は武田勝頼の変名であることは云われておりましたので、
公表しても驚く者も少なかったと思います。それだけ伝承は広く知られておりました。
これからいかに、武田勝頼公の存在を高知という立場でお守りしていくか、
定説でも武田勝頼は、多くの時代を経て再評価すべき御方でありますが、
高知でも再考すべき時代となりました。

当会には多くの情報が寄せられ、私、私どもは勝頼は土佐に来たと信じ活動しております。
史料の保存、口伝の継承、まだ会は始まったばかり。問題も山積み(汗)

どうぞ皆さんのご助力を仰ぎたいと思います。☆彡




posted by makkun at 13:26| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月17日

中島氏と正八幡宮 (副会長、中島道雄氏がこの世を去られました)

天正14(1586)年 6月15日 大崎八幡宮(旧 正八幡宮)建立。 436年前(現在 西暦2022年)
建立をされたのは、大崎玄蕃は武田勝頼の変名だとされております。


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中島家はそも大崎村の氏族で、長宗我部の分家としてこの地に在り、
現在の八幡宮の建つ小高い山は、中島という名称のとおり、仁淀川と土居川の合流する場所で、
川を通じた交易の中心でありました。 
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天正14年、この地の豪族である片岡氏の居城であったとされる中島は、戸次川にて主が戦死し退き
武田勝頼(大崎玄蕃)がこれの実権を握り、(正八幡宮、川井神社)として建立することとなった。

中島氏はこの長い歴史の中で、交易の中心を担い、幾多の困難を乗り越え、歴史を土地の郷氏たちと共に歩んで来た。

その中島氏の墓所群は、今の大崎八幡宮の南側にあり、白山神社(白山垂山神社)、鳴無神社の方面を向き、何か言いたげそうに佇んでいる。

その、大崎八幡宮の役員として、中島の家を守り、当会の副会長である中島道雄氏が帰幽された。
私たち、武田勝頼土佐の会、この会を支え続け、
照らし続けてくれていた中島道雄氏が本日(令和4年10月17日)、闘病の末に亡くなられました。享年73才でした。
葬儀は20日の11時より、吾川葬祭にて執り行われます。(神儀)心よりのお悔やみを申し上げます。

当会は、中島氏の強い熱意と行動力無しには存続は困難でしたし、数々の事業の発生は無かったのかもしれません。
大崎の地に、勝頼の伝承は元より、仁淀川の名前を県内外に知らしめ、
や草木に気を配り、町の人を笑顔にし、どの里々においても掛け替えのない人物でありました。
今はただ魂を安らかなれと祈ります。

大竜王のゆかりも深き、仁淀川のたゆみなき流れに数多の歴史を秘めて、定めの任々

これからも、その意思は受け継がれます。


posted by makkun at 21:00| 高知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月15日

山梨県甲府ウォーキングの(勝頼歴史探訪ツアーにて)来町。

10月13日に仁淀川町に起こしの山梨県の甲府ウォーキング協会の方々により、
信玄公生誕500年記念、武田縁の地巡りで全国に数多ある中からですよ!!!ありえない事が起こったのです。
なんとこの土佐の勝頼史跡の探訪をお選びいただき、誠に感謝感激に絶えません。(感謝)

高知の武田勝頼の史跡探訪にてご案内いたしました。

朝に中津渓谷に行き、此処から仁淀川町の役場までウォーキング。皆さんお元気です。


◆12時に役場に到着し、表敬訪問を副町長がご対応をしていただきました。
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副町長は10年以上前になりますが、
山梨県、長野県へは武田勝頼土佐の会に同行しまして表敬訪問された経緯もあります。

IMG_4048.JPG IMG_4057.JPG昼食と会長らによる挨拶。
甲府ウォーキング協会会長 輿石様より挨拶をいただき昼食としました。

◆◆午後は武田勝頼から、信勝の墓、そして大崎八幡宮(旧名称 正八幡宮)へ、
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大崎八幡宮は、武田八幡宮から携えて来たという12木象のご神体があり、
神社の由来などをコンパクトに説明をさせていただきました。
長い階段を神社まで上って来るのはなかなか体力的に大変です。
甲府から、お越しいただいて、祭神の武田勝頼大神様もさぞ喜んでおられる事と存じます。✨
私たちも大変嬉しく思います(^_^)

最後の目的地は佐川町の武田家招魂の碑まで案内をさせていただきました。

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佐川町といえば、牧野富太郎。来年からさらに盛り上がる町です。

山梨県の甲府ウォーキング協会の方々、本当にありがとうございました。
信玄公の生誕500年記念のこの大事な機会に土佐を選んで歩いていただるなんて夢にも思ってない事です、
このような事が実現し、重ね重ね感謝を申し上げます、ありがとうございました!

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皆さんとまた、元気でお会いできる事を心より願っております!

posted by makkun at 16:46| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月11日

大善寺と景徳院に参拝。

武田八幡宮の創建1200年例大祭に訪れた翌日、2022年10月11日(火曜日)
○勝頼たちが辿った道として、先ずは大善寺で参拝をし、
○武田の霊を敬い、供養の一環で景徳院に参拝をいたしました。

◆大善寺(ふどう寺)
このお寺は山梨県で一番古いお寺。西暦718年に、
行基菩薩が日川渓谷岩上で霊夢により感得された像といわれる、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩を安鎮されたと伝えられ、
武田勝頼が天正10(1582)年3月3日、郡内の岩殿城で再起を図ろうと韮崎の新府城を出発し、途中この大善寺で戦勝祈願をし、一夜を明かしましたと伝えられております。

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天目山での戦いを目前に控え、勝頼はどのような気持ちであったのであろうか、とそう思い。
薬師如来様に大慈悲を願いご真言を皆で奏上いたしました。
現在、過去、未来がここでつながっているのではないかとそういう空気でした。これは、同様に感じた諏訪を訪れた時の神聖な何かと通じる厳かさ?かと思います。
勝頼たちは、この時の次の一手二手、まだ見ぬ先をどう考えていたのであろうか。
寺の奥には、理慶尼記があり、その当時の様子を詳細の記してあります。

ここの庭園は本当に美しく、またブドウジュースが美味で癒やされました。ご馳走様でした!

玄関から入って奥を見るまでは、全く想像のつかない美しい庭園とそれを取り囲む部屋におおっ!と声が出るくらい美しさに感心させられます。テーブルに置かれたブドウや、アケビのお飾りにも感心させられまくりです。

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素晴らしいお寺ですので、じっくりと時間をかけて参拝したいですね。その後は、ブドウジュースやワインがおすすめです。


◆景徳院(けいとくいん)へ 天目山

ここでは武田勝頼をはじめ武田家が自刀した生害石、武田勝頼の墓がございます。
実際に、ここでは大勢の血が流れた事でしょう、感受性が高い方が行くと苦しいかもしれません。
ただただ無念であった魂の前に手を合わせ、安らかなれと祈るのみ。


戦国の時代の武将を崇敬することは、現世の私たちにとって、新しい世界をどう生きるのかを問うことだとも思います。

手を合わせ、死者霊の鎮魂と冥福を祈り。また新たな未来へとつなげて行きたいですね。
山梨県に来たら必ず最後にはここで手を合わせ、反省をして、また来させていただきたいです、今度は大勢で来ます。(合掌)



●今の高知 ↓ コスモスまつりでは、コスモスが満開です。
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武田勝頼土佐の会 岡林




posted by makkun at 15:38| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月10日

武田八幡宮の創建1200年例大祭に正式参拝をさせていただきました。

822年(弘仁13年)に創建されてより1200年、この輝かしい大祭の日に土佐の会として参加できましたことは、恐れながらも大変喜ばしく、在りがたいご縁にございます。令和四年十月十日(月曜日・祝日)

また、この大祭において、引き寄せられたかのごとく数々の言の葉では足りない素晴らしいご縁をいただき、この時、この場所に居られた事はなんと奇跡的なことではないかと感じております。どのような出来事かは、いずれ記す時も来るだろうと思います、勿論の事でございますが勝頼生存説にまつわるお話等です。

さて、韮崎に入り、最初に立ち寄りましたのは、「甘利沢川さくら公園」です。
この公園には、土佐の「しだれひょうたん桜」が植樹されており、4月に訪れた際にも、韮崎の「武田の里を守る会」小林会長方等にご案内されました。今回も道中にある事からこの桜に参拝。
 ↓ こちらが10月現在のひょうたんしだれ桜です。
 IMG_3650.JPG 4月にはIMG_7355.JPGIMG_7366.JPGこのような感じで美しく咲いております。
また、記念植樹した時に付けたプレートには「武田勝頼土佐の会」と記されております。懐かしい。
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武田発祥の韮崎で、勝頼が高遠から土佐に植樹したとされる桜が再びこちらに戻って来くという、
私たちにとりましても、なんとも嬉しい事ですよ。


◆◆◆◆◆◆武田八幡宮◆◆◆◆◆◆ 
2022年10月10日 大祭

午前十時過ぎに到着をし、社務所から総代長の江上様にご案内をいただき、
 神楽が始まっておる横を通り、本殿に向かい、拝殿にて1200年のこの良き時を斎い奉りました。

正式参拝が始まるまでの間、総代長江上さまに為朝神社をご案内いただきました。
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彫り物の素晴らしい社と為朝木造です、大きくてなかなかの迫力でした!

正式参拝の前に、拝殿前で拝む方々に何やら不思議な縁を感じ、うちの会長岡林照壽がお声かけをさせていただいたのは、
吾妻傳諏訪神流長刀術の演舞で奉納をされる伊与久松モフご一行でした。
    
伊与久様との出会いは今後の私たちにも大きく影響をして来ることで、今思い起こしても魂が震えるような出会いでした。
 時と場所を選んだようなこの奇跡。ありえない事です。
ふだんは人様の参拝の様子を映すという事はないのですが、美しい参拝でしたので、思わずパシャリと1枚。祈念すべき一枚となりました。

真田幸村に関する伝承や、勝頼たちが岩櫃に行ったという口伝、また土佐の系図にはそれを示すような事が書かれており、これに関連する一連のつながりは、今回の出会いで発展するような、正に私たちが探していた答えなのです。
今後、お話を重ねて行き、私たちもできるだけ多くの方たちのご縁ある場所へ足びたいと思います。

さて、その後に正式参拝をさせていただきました。(撮影はしておりません)
・その時の様子は、高知の勝頼墓所(鳴玉神社)の写真を祭壇中央に宮司様がおいて下さり、
会長は、高知にある正八幡宮のご神体の写真を膝に抱きまして、参拝を行いました。
 宮司を中心に、武田の里を守る会、武田勝頼土佐の会で記念撮影をしていただきました。
大祭行事をひかえお忙しい中に正式参拝をさせていただき本当にありがとうございました。

正式参拝を終えて、階段を降りると、伊与久様と武田神社の宮司様が居られたので記念に一枚をいただきました。

 午後1時からは吾妻傳諏訪神流長刀術の演舞です。
おおっ! 迫力があり、キレの良い洗練された空気になりました。
とても技が多く、これを伝えてこられた先生方には頭が下がります。演舞が未来永劫に伝えられますように。
伊与久様とこれからまた話を重ねて行きたいですね、武田の里のために私どもも力を入れて行きます。✨

◆午後二時から大祭の神事。笙の音が厳かに奏でられる中、
武田勝頼土佐の会の岡林会長も席に加えていただき、同じく土佐のご神体の写真を膝に抱え、
玉串奉奠をさせていただきました。案内された会名が「高知県、長生教監長」だったかと(笑)それでも良いですわ、信勝を先祖神で祀っておりますもの。
 私はこのとき、外に居りまして、カメラを携えておられた大石様とお話をしていたら、なんと20年ぐらい前に武田の前調査で高知県の勝頼墓所に来た事があるとのこと、そしてその観光協会の当時の課長様がイベントや祭典に来られたのですね、此は此は、本当に素晴らしい再会で、当時の韮崎からの視察団や多くの方のお導き、韮崎市のNPO法人「にらさき味噌汁学校」の高木智朗代表理事様には大変良く接していただき、感謝の念が絶えません。今は亡き高木先生、これからも韮崎との交流を大事にして行きます。


 武田八幡宮には20ほどの演目を持つ神楽があり、午前から午後までずっと、神楽が舞われ、太鼓と笛の音が境内には響き渡っておりました。こちらもじっくりと見たかった。 
実は私岡林もこの神楽殿にて、土佐の安居神楽を3〜4演目ほどさせていただきました。10年以上ぐらい前の事ですが、その時にご案内下さったのも、江上年秋でした。当時の事をよく覚えていただいており嬉しく思いました。


武田八幡宮の1200年目にあたる大祭に、私どもはこのように参加し、また奇跡的な出会いを授けていただき、
武田の大神様、諏訪の大神様、ご先祖様に感謝。またまずもって、交流を続けて下さっている武田の里を守る会には感謝しております。

 そして、大事なこと、10月30日には武田八幡宮の創建1200年の行事があるとのこと、諸用で参加は難しいですが、
行ける方はぜひ参拝を。


◆池川氏について
この日泊まった場所で、山梨県の池川氏、高知県の池川氏についての談義を行いました。
山梨の池川(いけがわ)家は四国から来たといわれておる事、勝頼の史跡群と近いことから今回の談義を行うこととなりました。
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武田勝頼とともに大坂夏の陣に参戦をした土佐の郷氏たちがおり、その中の一つではないかと思います。
高知県の仁淀川町(旧池川町土居)は、今は仁淀ブルーで一躍名をはせました、池川氏はこの土地の祖であったと云われ、土居の町中に池川氏の墓があり、尊く祀られております。相模の鎌倉から土佐移住した安部氏の初代が池川を名乗っております。私たち岡林もルーツは鎌倉。
近く、安部氏の方々とお会いするので、本年中に池川家の何かわかれば面白いなと思います。







posted by makkun at 14:17| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月02日

本日は玄蕃祭(2022年10月2日)

快晴でカラッとした秋晴れの今日は玄蕃祭、昔は煙火花火の音がパンパーンと午前7時ごろには鳴り響き、祭のはじまりにワクワクしたものでした。またああいう派手で楽しい祭が復活してほしいですね。 玄蕃祀りの本旨は、死者の霊を慰め鎮め、病送りを行うことにてございますので、武田やそれに関わった者たちの先祖供養を願い、正八幡宮では祭祀が行われております。

日時:10月2日(日曜日)午後2時〜  
場所:大崎八幡宮(仁淀川町大崎)
主祭神:大崎玄蕃 武田家先祖


◆内容は、神事と、おなばれ、荒神鎮めとなります。
新型コロナウィルスの感染の拡大を抑えるために、神事のみで直来や出店はございません。記録をUPします。

天気は、今も晴れ、雨の心配はなく、おなばれも可能です♪

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お供えを献上し、開式に備え、午後2時から集まり具合を確認してから開式します。

■参道である階段の入り口には両際にサカキが立てられ、今年は大崎八幡宮の社名も入れられております、
この取り組みをして下さっているのは中島道雄さん、八幡宮の役員でもあり、町の花草の管理人です。いつも感謝をしております。
元々参道の入り口には鳥居がありましたが、道路に面していて危ないとのことなどから、40年以上前に、山の中腹ぐらいの場所に鳥居が移されました。そのため、例祭の時はノボリ旗が立つのですが、それ以外の時には目印がなく、神社の入り口だとは分かりません。
そのことを中島氏は憂慮し、ここにサカキが枯れないように立て続けてくれて、さらには「大崎八幡宮」という社名をサカキ立てに記してくれました。中島氏は勝頼が来る前より、この山の持ち主で、それ以来からの先祖のつながりがあります。
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神事は厳かに執り行われました。参加者は役員などを含めて20名ほど。

午後3時ごろ 御旅所の鳴玉神社へ神輿を運びます。役員だけなので、軽トラの荷台にご神体(大崎玄蕃)の入った神輿を乗せてのおなばれ。

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ご神体の御神輿が帰って来たら、病気平癒を願って、神輿の下をくぐるという伝統があります(^^)
頭をぶつけないように気をつけてくぐって下さい。

その後は荒神鎮めで、地域の平安と病気平癒、病が直るようにと祈念をし、
令和4年(2022年)の玄蕃祭もこうして幕を下ろしました。直来は残念ながらありません。

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御神輿は3つ有って、大きいのは玄蕃祭用なのですが、なんせ人手が少ない昨今は出すのが難しい。
そのため、小さいのを何とか出しております。来年は「秋の陣」としてイベントが出来るのではないだろうかと考えております。
来年のことを云うと鬼が笑うと言いますが、神輿をかつぐ若い人に参加いただけるとありがたいですね。
お疲れ様でした。

後日、参道の階段の掃除をしてくれていたのは、井上進さん。八幡宮の大長老で、ご高齢ながらもいつも山の上から下までを綺麗にしてくれています。
 左手前が進さんです。S__16760845.jpg   S__16695303.jpg
ご協力をくださいました皆様、本当にありがとうございました。まだ本年の祭祀も11月と12月の大晦日あるかな?

posted by makkun at 11:49| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月01日

諏訪湖のご神体を土佐から的確に遙拝していた勝頼(検証:グーグルアース)

これは昔から伝えられている事なのですが、武田勝頼(大崎玄蕃)は長野県の諏訪のご神体を驚くほど正確な方角に向かい日常的に土佐から遙拝しておりました。

もはや、都市伝説に近い事だと思っておりました、なぜならば、武田勝頼が建立したとされる武田八幡宮(高知の)からシンボリックな神山である黒森山の山頂に向かって拝むと、諏訪湖のご神体を拝める!という事は、地形と歴史は連動しているのか?偶然か必然かの話になって来ます。

それをグーグルアースで検証をしたら、驚くべき結果が得られました。

まず、大崎八幡宮の境内前の広場と、長野県の諏訪湖を結びます。その時、勝頼の生家である観音院と結びました。
終点の観音院と結んだら、(右に見えるのが諏訪湖)
kannonninsuwa.png
以下が、大崎八幡宮と観音院をダイレクトに結んだ直線です。
nippon.png
ダイレクトに大崎八幡宮と、諏訪の観音院を結ぶとこの通りです。
淡路島、京都を通り、琵琶湖の最南端を通り、諏訪湖へ通る1本の直線です。
この直線上に黒森山があるか??です。

はい、ありました。山頂ではありませんが、黒森山を通っております。地球は丸いので、このラインが正確だとは思っておりませんが、
以下がその結果ですので、順番に説明をしていきましょう。
oosakikuromori.png
大崎八幡宮と諏訪の観音院を結ぶと、黒森山の山頂が若干ですが、ほんの少し右にそれています。
立体で見ると。
rittai.png
山頂からやはりほんの少し左寄りに見えます。ですが、詳しい人なら分かるのでしょうけれども、地球は丸いので、完全ではないかもしれません。しかし、言い伝えは本当であったと言っても過言ではないでしょう。
「大崎八幡宮から、黒森山を拝むということは、諏訪湖のご神体を拝むという事になります」
実は、この方向に、ダイレクトに参道の階段が伸びています。参道と、この黄色のラインはほぼ同じ方向といって良いでしょう。
 それにしても、その方位を確信できるほどの技術が当時あったのか?以前の記事で、春分秋分の時の太陽の登る位置と史跡の関連性は説明しましたが、今回はそのようなもので説明がつくものでは無いと思います。もっと高度な何か。

■黒森山の山頂には、黒森神社があり、熊野蔵王権現を祀っております。大崎八幡宮の宮司の岡林家は代々が熊野神職です。

武田勝頼は諏訪湖をご神体として崇めておりました。ご神体は諏訪湖そのもの、建御名方神(タケミナカタノカミ)でありますが、
ここで、気になる情報を追加いたします。

諏訪湖には巨大な石棺のようなものが確認されております。
このような巨大なものが戦国時代に作れたかどうかは疑問ですが、土佐には勝頼たちが崇敬していたとされる、古代の神の伝承があり、
諏訪に天照日大神が出現し、地球上に生命が誕生したという信仰話があり、ここ高知県の仁淀川町大崎にはその信仰が今でも受け継がれており、はるか昔の古代文明の存在をほのめかしております。

また、はるか昔には、この四国の山間から大変貴重な鉱石が採掘されて、中国や日本の権力者の手に渡ったとも云われており、もうこれ以上続けると都市伝説などの色が濃いめとなりますので、止めておきます。伝説ではそういう不思議な力を持つ石があったそうなw
空海はなぜ、四国に88カ所の寺を作ったのかも考えてみると面白いですよ。
他にもこういった伝説がいくつか有りますが、ブログでは、まあこういうのもアリだろうと思いアップして行きます。
もちろん、歴史的に調査した事や、考察なども続けていきます。

明日は玄蕃祭ですので、現地からその黒森山を拝みたいと思います。


posted by makkun at 19:16| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

玄蕃祭2022年(令和4年10月2日)神事のみの開催。

今年で武田八幡宮が創建1200年を迎えます。
この時に、土佐では、恒例の武田祭である玄蕃祭を神事のみ執り行います。

日時;10月2日(日曜日) 午後2時〜神事
   午後2時40分頃 鳴玉神社へのおなばれ(ご神体を御旅所に祀ります)

場所:大崎八幡宮 (高知県吾川郡仁淀川町大崎)

主催は、大崎八幡宮となります。

 ご神体である、大崎玄蕃(武田勝頼)と武田家先祖は、神官の岡林家が代々とその伝承や、伝承の残る場所などを受け継いで来ました。
現在は25代目宮司の岡林正徒が祭祀を行います。
 新型コロナウィルスによる、感染拡大で大きいイベントは息を潜めてしまいましたが、祭祀を続ける事で、また新しい時代に祭(まつり)として、地域の方や、土佐の武田を崇敬する方々が元気になれる、祭祀の中心となれるように務めて行きたいと思います。
posted by makkun at 13:43| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする