秋の神祭は2022年11月15日(火曜日)となります。
清掃は、社殿(ご神体のある社)、拝殿(みなさんが拝む場所)
境内と参道に分かれて行われます。
年々、高齢化していく中、人数も減少しますので、誰もが将来の事を心配しつつ、
ご祭神への崇敬の念もあり、まだまだ続けていかねば!と頑張っております。
ここは古くは「正八幡宮」 武田家の先祖を祭り、主祭神は大崎玄蕃彦大神 武田勝頼様であると云われてております。
向かって右扉には、「正」と彫られております。
正八幡宮の「正」であろうと思います。下の部分が経年劣化で欠け落ちております。
覚え書きのようになりますが、
社殿は、きれいなタオルで拭き縁(廊下)は社殿用のホウキで掃きます。
普段は見る事はない、社殿の細部写真を掲載させていただきます。全部ではありません。
■左の脇障子と付近の組物や板■
鶴と亀が彫られています。
■右の脇障子と付近の組物や板■
鬼と戦うヒーローと馬(どっちかというと鬼優勢に見えます)
■虹梁(こうりょう)付近の彫り物、まだ色が残っています■
■手挟(たばさみ)■
こちらも赤い色がよく残っています。
■木鼻(きばな)■
ここは大体がバク(幻獣)が彫られています。
■頭貫(かしらぬき)付近の彫り物■
■御扉の上の彫り物■
うーむ、寅が2頭でしょうか? 詳しい人がおれば教えてほしいですね。
仁淀川町に現存する社殿は、
長州大工が気合いを入れて作ったようで、どこの神社も彫り物が素晴らしいと評判です。
■大崎八幡宮は過去を遡れば、
大崎玄蕃(勝頼公)が来る以前は、大崎城として存在し、
大崎玄蕃が来てからは、正八幡宮として天正14年6月15日に建立されます。
明治に、周辺の神社が統廃合され、川井神社となります。
このとき、ご神体は土に埋められ隠されていたと聞きました。大事な書物や系譜は関係者が持ち出し時が至るまで管理される事になりました。
昭和の時代に入り、
武田勝頼公を祭神とする特殊性から、神社庁のさまざまな影響をさけるため、
独立して宗教法人として登記。
このとき、通称は大崎にある八幡宮、大崎八幡宮で通っておりましたので、
現在は大崎八幡宮として登記されます。
今の時代を待ち、大崎玄蕃は武田勝頼である、と宮司により公表されました。
古くより、大崎玄蕃は武田勝頼の変名であることは云われておりましたので、
公表しても驚く者も少なかったと思います。それだけ伝承は広く知られておりました。
これからいかに、武田勝頼公の存在を高知という立場でお守りしていくか、
定説でも武田勝頼は、多くの時代を経て再評価すべき御方でありますが、
高知でも再考すべき時代となりました。
当会には多くの情報が寄せられ、私、私どもは勝頼は土佐に来たと信じ活動しております。
史料の保存、口伝の継承、まだ会は始まったばかり。問題も山積み(汗)
どうぞ皆さんのご助力を仰ぎたいと思います。☆彡