
勝頼の子であります「信勝(のぶかつ)」
と更にその子「信房(のぶふさ)」の墓の調査に行って参りました。



墓の存在を知っている人は少なく、会長によって「家系図」からこの場所が判明したのであります。
古い系図から、「馬帽子と川井(今の大崎)との間に森あり、この所に葬る」と書かれております。(以下は昔の系図です)

もう一つの別の系図にも「川井(今の大崎)の東浦を越えた所に指し出る森ありこの所へ葬る」と書かれております。
どちらも同じ場所を指しております。
馬帽子とは、烏帽子を意味しており、烏帽子とは今では神主が頭にかぶる帽子で、平安の頃は普段着に着装されておりました。
大相撲の行司が着用しておるので分かるかと思います。
その烏帽子の様な形をした山と、この大崎にある森というと地元の人ならだいたい察しが付く場所があります。
こんな場所です(下)

■墓の位置(航空図より)だいたいの場所を線で結んだら、ほぼ正三角形になっていました(笑)

更に気が付いたのですが、正四角形で結ばれたもう一つの場所には、何と重要な人物(中島家で大崎の城(大崎八幡宮)と深い関わりがある)の墓が有ります。偶然とは思えません。菱形にしたかったのでは??
もしくは四方を囲むのは結界としてなのか?

烏帽子山(小森)では実際に代々墓が祀られております。
今でもお供えのお菓子や酒などが管理しておる者によってされております。そして、御大師堂が墓の前だとされる所に置かれていて、墓が古いものである方が信勝(のぶかつ)そして、それより新しいであろうとされる墓が信房(のぶふさ)のものであると考察されております。
【信勝の墓】

【信勝の墓の前に置かれる大師堂】

【信房の墓】

川石を積んだ墓ですので、名前を彫り込んだ石塔がある訳ではありません。
烏帽子山は、現在は小森(こもり)と呼ばれており、上から見る風景は大崎を一望できる眺めも美しいところです。

この烏帽子山(小森)の裏側に、武田家の墓石群が御座います。
う〜ん



更にもう一つ紹介してもらいました。
勝頼の妾(めかけ)の子供の墓として大中家が代々守って来た墓です。
八木姓の方で久万町に出るとあります。


大変面白い体験をさせてもらいました。
大崎でも武田勝頼の息子と孫そして妾(めかけ)子供の墓が代々守られている事が分かり安心しました。これが絶える事の無いように私たちも協力して守っていかねばと思います。