土佐の佐川町に残る(佐川嫡流の系図)には確かに名前が残されておりました。これは大きな発見です!
【檮姫(ゆすひめ)】と書かれております。
檮姫(ゆすひめ)は信濃伊那郡於高遠(現在の長野県伊那郡高遠町)
の場所に元亀元年(1570年)庚午に生まれる
(信勝もここで生まれました)
定説では、天目山にて父勝頼と共に13歳で亡くなっております。
しかし、土佐では、父の勝頼等と共に13歳の時(天正10年)
無事に土佐に落ち延び、
豪族片岡氏の名の有る武士である横畠左馬助(進)貞秀と結婚し、
文禄(1593年)葵巳の2月8日に24歳で亡くなると系図には書かれております。
夫の横畠左馬助(進)貞秀は長宗我部地検帳にも名が出ており、正しく存在が確認されております。
檮姫(ゆすひめ)越知町横畠栂の森に葬られています。
墓所も正確に系図の中で読み取れます。
現在は区長さんが綺麗に墓を守っていると言います、有り難いですね。
檮姫の法名は逝徳院殿慈月順光褌定尼
檮姫(ゆすひめ)、なんとも麗しくて、良い名前だな〜と思います♪
そういえば、勝頼の母の名前は大河ドラマでは(由布姫(ゆふひめ))と呼ばれており、近い呼び名である気がします。
ですが、母の名前は正式には分かっていないんです。いつか判明すると嬉しいですね。
現在、400年祭に向けて、会の打ち合わせが行われております。
地域の祭との兼ね合いなども検討され、様々な案が出ております。
また、こういう事をやったら良いんじゃないか?
ぜひ祭に参加したい!などの意見や希望、アイデアを募集中です
夕方からは、神楽や太鼓合戦、玄蕃踊り(勝頼が伝えたと言われる踊り)が行われ面白い祭になります!
ぜひ良い案を考えて下さい、お待ちしております