まず、素晴らしい交流が持て、将来に繋がりました事に、中島住職様をはじめ、諏訪にお集まりになられた方々に心より感謝致します。
ありがとうございます。

今回の発見にも会長を始め、会員はとても驚いて、喜んでおります。

5日に埼玉に住む会長の息子の家に行き、先月生まれたばかりの孫に会い
翌朝(7日)快晴!





〈↑甲斐善光寺と会長夫婦〉
ここ善光寺を選んだ理由は、前々回のブログ記事にもしましたように、
信玄公の葬られた場所と所有の系図に載っているからでした。
「新善光寺葬」と記載されています。
山梨県立博物館 学芸課の方からは、「新善光寺」とは管見では見受けられませんが、土佐の系図はおそらくは甲斐善光寺を指しておるのであろうとのお返事を頂きました。
信玄の埋葬地は不定で色々な説が有るそうですが、甲府善光寺は新説となります

富士山が山の稜線の向こうに見えていて、地方から来た者にはすばらしい光景だったと会長は言っておりました。


それからパンフレットに諏訪頼重の墓所が東光寺にあると載っていたので行くことに、(タクシーに乗って5分くらいのところ)
由布姫の父になる方で、信玄公に捕らえられ此処で切腹しています。


甲府からローカル線に乗り韮崎市(にらさきし)までいき、ここも




高知の大崎八幡宮は別名「武田八幡宮」とも言い伝えられております。
韮崎市の武田八幡宮は甲斐武田氏の始祖と深い関わりのある神社です。
信玄が再建して居ますので武田家の始祖を祀った事は間違いないと思い此処を訪問地に選びました。


土佐の大崎八幡宮にある武田家始祖御正体(12体(現存10体))は元は韮崎市の此処に有ったものと言われております。
更には、勝頼夫人が2月19日に悲痛な思いを綴った祈願文が現存しております。
また更に土佐の伝承に於いては、勝頼夫人は、勝頼と一緒に生きて落ち延び、幸せに暮らし、勝頼と共に墓に祀られております。
もしかしたら夫人の思いが通じたのかもしれませんね。
タクシーで帰る道中運転手さんが勝頼は新府城から逃げるときに峠で振り返り涙したとのこと、また、桜の時期にはまたおいで下さいと、お話になったようです。

韮崎の駅では2時間待ちになり、地元のおばさんと世間話をしながら次の特急に乗れる駅まで一緒をし、八ヶ岳の残雪風景を車窓から見ながら、楽しい時間を過ごした会長夫婦は、下諏訪に午後4時頃到着、ホテル三王閣に真ん前が下社秋宮でしたので、7日はここまでの参拝として、諏訪湖の夜景と拝見、山から出る月は満月に近く諏訪湖と一体になって夜景に見とれたとの事です。



<町と諏訪湖の景色〜夜景>




観音院が今回の本目的地であります。



天気も良く観音院から見る風景は、高知県の寺村の観音さまから仁淀川を眺める風景と交錯しながら見とれていました。


同じような風景だったと強く語っておりました。
境内にて、中島住職さんがみられ再会を喜び合いました、千葉の石川さんも一緒でした後には宮川さんも来られ、又静岡の武田さんも来るとのことで大きな集まりになりました







〈下、勝頼の母君、由布姫の供養塔〉



お忍びのつもりがお寺では関係者が一同に集まり勝頼三昧に花が咲き時間の経つのを忘れて、今日帰るつもりがもう一日泊まることになりました。
■手鏡

土佐の大崎八幡宮に奉納されております、武田の花菱家紋が彫られている手鏡と全く形の同じ手鏡が、観音院には2つ奉納されておりました。 形、大きさ、持ち手部分に巻かれているものなど本当に同じで、彫り物はそれぞれ違っておりました。
土佐の八幡宮にある手鏡は、勝頼の母君(由布姫)が使っておったものではないだろうかと思われます。
やはりこれも3つのセットであったと考えても良いかもしれません。
■観音像
さらには観音像に関しては、土佐の寺村にありますものと3つで1つの三観音のうち、2体がこちらの観音院にあります。
そちらも見させて頂きました。写真で見て、同じ作りのものだと一目で分かりました。
背の高さや、造りが同じで、また土佐のものをここへ並べた場合に、三観音が全て揃う事になります。土佐に持って来たという説にますます現実味がわいてきます

中島住職様も3つの中で一番いいものを、それぞれ持って行ったんじゃないかと、言われておりました。どうやらそのようです。
時代を超えてパズルが完成しつつあるような、そんな感じがします。
また、大変貴重なものを見させて頂き、感激致しました。
貴重な仏像は信仰の対象でありますので写真は掲載を控えさせてもらっております。
又毎月武田さんが由布姫の供養塔に花を捧げにくるそうですが、全員で拝礼をし、長野と高知で今後とも交流を誓い合いました。
来年は7年に一度の諏訪の御柱祭(おんばしらさい)とのこと、お互いツアーを計画してはどうかと話しが弾んだという事です。
そういう訳で、山梨の信玄を祀っている恵林寺の宝物館を見学に行くことになりました。

■恵林寺での成果は次のようなことです。
【1】その当時の勢力図(色分け)を見ると、武田氏と長宗我部氏が同色で塗られていて同族だったこと。
【2】土佐の仁淀川町大崎の、勝頼夫婦の眠る墓の至近の岡屋敷の上の谷が岡谷です(またそのように記録があります。)、岡谷市(おかや)は古絵図にも「岡谷」と同じ地名が有りました。同じ岡谷であった。 とても偶然とは思えません。
系図、手鏡、観音像、寺の名前、地名、それぞれの史跡、風景、人々の出会いに至るまで、全てが必然の域のものです。
全てを伝えきれてはいませんが、多くの出会いと発見に感謝致します。
