また、宅間先生は様々な文化財保護委員会の会長もされております。
宅間先生は、6月24日と7月19日に開催されます武田勝頼土佐の会の歴史勉強会の講師としてお招きしております。
さすがは歴史民俗資料館の館長さんです、その環境や構造から、当時はどうであったのかなどを詳細に分析して考察して頂けました。また有りがたい言葉を頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
午前中は、私の友人であります、石鎚神宮の伊瀬峯幸さんが来られまして、家で勝頼とイベントのお話を少しさせて頂きました。
この後もカメラやビデオで史跡巡りを撮影して下さいました。
その様子は後日、峯幸さんのブログ「やまなみネット」にて紹介もされるとの事です♪
私と峯幸さんは、地元の安くて、美味しいと評判の食堂「おさき」でお昼ごはんをとり(定食500円)、
館長の宅間さん、会長と、県の西森さんと合流しまして、史跡巡りを行いました。
鳴玉神社では、勝頼と勝頼夫人の墓をご案内させて頂きました。
勝頼は土居屋敷の柿の木の元に埋葬されたと家系図には残っており、
鳴玉神社には、今でも樹齢400年を越える大きな柿の木が立っております。
勝頼が残したとされる「ひょうたん桜(大藪の彼岸桜)」や、この柿の木にしても、勝頼公が関わったものは、とにかく長生きなんだな〜っと驚きます。
これは必ず長生きの御利益がありますね
大崎八幡宮では、城への敵の侵入を防いでいた土塁(どるい)のあった頃の話しや、兵の駐屯所とされる曲輪(くるわ)の存在がある事からも、神社としてだけではなく、城として存在していた事を証明しているとの事でした。
今は土塁などは、神社を建て替える時に、境内の地面を1m程低くし、その時に取り除かれてしまい、その時に出てきた大きな大量の川石郡も今では石垣の一部として使われており、その当時のまま残していればとても貴重なものだったのに、と言っておられました。
春と秋には御輿(おみこし)にご神体を入れて、御旅所へ参ります。
そして、御旅所の社の中にご神体を移して神事を行います。
その御旅所が鳴玉神社(勝頼と夫人の墓の前に祀られている社)です。この祭祀の形式は昔ながらの御旅所としての形を残しておるとの事でした。
寺村の観音堂(もと流光山成福寺)では、観音像を見て頂いて、かなり素晴らしいものがこの寺にある事に驚かれておりました。
ですので、セキュリティーも万全にしております。
また、どうしても調べなくてはいけないのが、位牌の戒名です。
誰の位牌かは分かっておりませんが、「院殿」と付いておるものが複数祀られておるため、調査が必要との事。
厨子(ずし)の扉の装飾は花菱の形をしておりますが、こちらは意図的なものかどうかは不明です、写真を載せておきます(下)
観音堂の前にて記念写真♪
そして、勝頼の娘(檮姫)の墓〜目印の岩へと案内をし、史跡巡りを終えました。
最後に皆さんと、佐川町の喫茶店に行きました。
系図や、年代などの符合など詳細に至るまで、見て頂き、
勝頼の時代の話し、実際の歴史の裏側が垣間見れるような面白いお話を聞いたりする中で、
土佐の勝頼は自信を持って、世の中に出して行った方が良いとのお言葉や数々のアドバイスを頂きました。
また史跡ガイドを養成するためにお力を借りる事になり、歴史勉強会でもお世話になります。
ブログを読まれている方も歴史勉強会にはどうぞご参加下さい。
解りません教えて下さい。