武田勝頼土佐の会です。
武田勝頼没後400年祈念祭
8月22日に行われたイベントの模様などをお伝えします。
当日は天候も安定して、法事、神事、神楽、太鼓踊り、キャラクター投票など用意されていたイベントが全て行え、大成功をおさめました
★会場は、鳴玉神社前、そして吾川中学校グラウンドの2カ所!
遠くよりお越し頂いた、諏訪(長野)観音院の住職様、日本各地から来て頂いた勝頼ファンの皆様、ご尽力頂いたスタッフ、太鼓、神楽、販売員、お越し頂いた全ての皆様!
この場をお借りして、皆様に感謝の御礼を申し上げます。
誠にありがとうございました
勝頼が土佐で没して400年となる今年、400年前より行われて来た行事を盛大に開始できた事は、この上ない喜びです。
◆会場への通路にはパネルの展示も行いました。
土佐と勝頼の関わりをダイジェストで紹介をして、皆さんに知って頂こうと作られました。これからも、イベントがあるごとに掲示致します。
◆午後4時〜 墓前祭・供養祭(神事、仏事)
400年祭の報告は、「大」と勝頼が掲げた旗を奉納し、
武田勝頼と夫人の墓前より行われました。
勝頼と夫人の墓前にて式典がこのように執り行われ、仏事まで行われるのは、400年目で今日が初めてであります。
しかも仏事をして頂いたのは、長野県の勝頼が生まれ、母を供養しておる観音院のご住職様です。更には、伝承を受けた25代目の神主が式典を行う事が出来ました。
こんな素晴らしい400年の供養が出来た事は関係者一同感激しております
●まず、始めに、勝頼が建立した大崎八幡宮の初代宮司より、伝承を受け継いで来た25代目神主の岡林誠氏が祓行事〜祝詞奏上。
初代である岡林甲斐守勝貞は天正14年に6月15日よりこの神社の神主として仕えております。6月15日は各地で玄蕃まつりの開催日としても知られております。
玉串の奉奠の時は、仏事の代表者であります、住職の中島宥明氏より行われまして、子孫の方々、続いて太鼓、神楽関係者、会長と行いました。
●仏事(法事)は、諏訪の由布姫の供養をされておられます真言宗智山派 龍光山観音院のご住職であります中島宥明しによって厳粛に行われました。
観音院は長野県岡谷市の諏訪八景の中でも最も風光明媚な場所に在りまして、2つの太陽を拝めるパワースポットとしても知られております。
平成19年には大河ドラマ「風林火山」では、観音院は由布姫が療養され、また勝頼の産まれ育った寺院として出てきました。
現在、土佐の仁淀川町に在ります、観音堂との関わりなどが見られ、勝頼が母と共に過ごされた諏訪の里への思いが強く出ておる寺院です。
厳粛な法事の中に勝頼の人生を歌のように詠まれまして、大きくも美しい供養となりました。誠に感謝致します。
観音院の桃太郎旗を持って頂きましたので、これから先も祭祀を行う時は旗を立てて行いたいと思います。
※勝頼の戒名(法名)は「成福院殿榮秋道勝大居士」
ご焼香は、神社体表の岡林誠氏から順に、同上のように行われまして、ここに無事、神仏合同にて大崎玄蕃頭源勝頼こと、「成福院殿榮秋道勝大居士」の墓前祭が盛大に行われました事をご報告致します。
◆勝頼没後400年式典
■巫女神楽 太鼓:岡林誠)
大崎八幡宮の22代目宮司であります、岡林正神宮司が長生教に残した巫女神楽で、多くの演目を持ちます。
今回はその内の1つを公開させて頂きました。外で行う事は初めてで、とても珍しい事です。
■会長(岡林照壽氏)のあいさつ
出陣の言葉というのを述べました、その中で、101の武将という言葉を使いましたのは、会長がイベント前日の夢の中に101の武将が出てきたからだと言いました。前日にそんな夢を見るなんて不思議ですね〜
ご住職様や子孫の方々、支援して下さった関係団体や町村の長へのお礼の言葉を述べました。
この墓には夫人も一緒に眠っており、南の八幡宮には武田氏の始祖である新羅三郎義光(源義光)以下4代に及ぶ御正体が祀られ、高知の町内外には勝頼の子孫達の墓が祀られており、これらは地域の宝であり、皆で守り、また活用させて頂き、地域を元気にしたい旨を述べ、今後の豊富を語りました。
観光産業として捉えれば、こんな機会はメッタになく、行政が力を入れれば地域の大きな観光産業になります。
観光客が増えれば、この国道33号線は地域高規格道路として、伸格させ新たに事業も生まれ、駐車場や資料館だって必要になります。
本日は勝頼グッズを試作したものを展示販売しております。
焼酎など、ここにしかない物ばかりです。両会場で売っていますので、祈念に買って行って下さい。
来年は坂本龍馬の「龍馬伝」が大河ドラマとして放送されます。
龍馬を見に観光客が高知に来ますので、行きと帰り、33号線を通ってこの大崎に足を止めてもらいたいと思います。
新たな取り組みとして、テーマパーク「大崎の陣」タウン構想を発表します。中身は皆さんで一緒に考えましょう!
町が元気で賑やかになることを祈念しまして私の出陣のあいさつとさせて頂きます。
と、要約しましたが、以上の事や謝辞を述べられました。
テーマパーク!タウン構想!ぜひやりましょう!
■中島住職様のあいさつ
5月に初めて来られた時に、寺院や地名、地形などに至るまで、多くの一致に驚かれた事、それによって勝頼は諏訪の里、そして観音院を思い過ごされていた事が想像され、勝頼と観音院との関わりというものに、目を向けられ、当会との交流が始まった経緯、土佐と諏訪の今後の取り組みなどを述べられました。毎年土佐に来て供養も行っていきたいとの、とてもありがたい言葉も頂戴しました。
来年には御柱祭という7年に一度の大きな祭りが諏訪で行われとの事ですので、我々もツアーを組み、由布姫の供養もさせて頂に諏訪へ行こうと考えております。(ツアー参加者はお申し込み下さい)
◆安居神楽(やすいかぐら)
続いて神楽の奉納となりました。
(舞人:中島功雄・岡崎アリサ・岡林美弥子・岡崎和也・中山直一
歌&鉦:栗田佳子 太鼓:伊藤武徳 小太鼓:岡林誠)
演目は
【1】順の舞
右手に鈴、左手に日の丸の扇。
最初に白い装束の者が舞い、次いで、若手の女の子2人で二人舞いを行いました。とても美しかったです。本番の7分の1ぐらいの長さで行いました、ですので、いずれの舞もフルで見ると10分以上はかかる舞です。
【2】舞いだしの舞天の岩戸開きの演目です。天照大御神が岩戸から出てくる舞です。
今回の400年祭の意味合いを含むものと考えて見るのがベストです。
【3】長刀の舞
長刀を持って軽快に舞う、悪魔払いの舞いです。
スピードと力強さで私はこの舞いがとても気に入っております。
■玄蕃太鼓(吾川中学校生徒)まず、はじめに、プロである大人の玄蕃太鼓チームがお囃子を叩きました。とても軽快で良かったです。
それだけに、中学生にはプレッシャーだったかも、
ですが、「玄蕃」という曲をカッコよく打ち抜きました!
良く練習してますね!これからも玄蕃太鼓を宜しく!!
■玄蕃踊り (踊り人:藤岡夏子、太鼓:岡林康男)
今回は、舞台の上で、勝頼が伝えた伝統の玄蕃踊りを披露しました。
10月10日には玄蕃まつりの本番が行われ、それはそれはスゴイ事になります。
そして鳴玉神社前のイベントは餅まきを持って終了とさせて頂きました。滞りなく盛大に出来、皆様には大変感謝いたします!
鳴玉神社の周辺では売店も出ておりまして、勝頼オリジナルグッズを沢山の人が買って行きました♪
尾崎製紙が和紙で作った、団扇(うちわ)!
武田の剣花菱があしらわれております。
ひょうたん桜(勝頼が植えたと言われる桜)
柿の木(勝頼が眠る樹齢400年以上の柿の木)
これらの枝が折れた部分をストラップにしました。
全て金光鉄工の社長が一人で作ったもので、1つ1つ手作り、更には、滅多に取れない物とあって、とてもレアで貴重なグッズです!
また皮のストラップグッズも人気がありました。
渋谷食品と武田勝頼土佐の会の共同開発の試作品であります、
芋けんぴ!です。
土佐の郷土菓子として、親しまれております。
(後編へ)つづく→
当イベントは四国銀行のNPOファンド、高知県仁淀川町の地域づくり支援事業の助成を受けております。町内の建設事業者の多大な支援を頂いております。お礼を申し上げます。