400年祭【秋の陣】
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10月10日の朝 快晴
武田勝頼土佐の会が発足し、一年が経過しました。(規約上は10月16日で1周年)
400年祭という1つのイベントがこの日クライマックスを迎えました。
盛大に開催出来、目的が達成された事は、関係者皆様の力を持って成し遂げられた事です、大変感謝しております!
400年祭の目的
■大崎玄蕃(武田勝頼)を祀る第400回玄蕃祭の開催
■境内に39年ぶりに花台の復活!
■玄蕃踊りの生まれた場所で、ルーツを同じくするそれぞれの手踊りの総踊りサミット開催!これからも拡大して行きます!
■土佐の勝頼の子孫達の間の交流と親睦。
■太鼓の奉納!
全てが滞りなく盛大に行えた事に感謝!感激です
○それでは、先ずその準備風景からお伝えします。
昨晩は遅くまで、会場の設営〜ライトアップのシュミレーションが行われました。巨大家紋やポスターの設置も行いました。↓この家紋は諏訪ですね。LEDライトはすんごく美しい演出が出来ます!
ライトアップの調整に夜遅くまで付き合って下さった楽器堂の皆様、スタッフの皆様はお疲れさまでした。感謝しております!
当日10日は朝早くから多くの方が準備にかけつけて頂き、広範囲で準備が行われました。大崎八幡宮〜参道、車道、鳴玉神社などなど
お神輿が神社の中央に運び出されます。
◆神事−−−午後1時より
神事は撮影自体が禁止されておるため、内容だけお伝えします。
ついに400回を迎える開式太鼓が鳴り響きました
一般的な修祓からはじまり、お祓いが行われます。
そして、開扉を行い、ご神体に向かいまして玄蕃祭祝詞を奏上。
玉串奉殿が行われ、ご神体が運び出されます。
ご神体は、鳴玉神社と書かれた木箱に収められており、
大崎玄蕃大神が運び出されます。向かう先は鳴玉神社、
つまり、武田勝頼と夫人の墓前です。
◆御神幸(おなばれ)神輿や、鳥毛が、大崎八幡宮から氏子や、協力者によって運び出され、行列が参道の階段を下って、鳴玉神社を目指します。
◆鳴玉神社前にて神事
鳴玉神社へ運び出されたご神体は、
お神輿から出て神社の中へ納まります。
そして初めて、神社にご神体の力が宿るのです。
鳴(呼ぶ)玉(殿様)、鳴玉神社の名前は「殿を呼ぶ」という由来を聞いた事があります。
また、玉とは「魂(たましい)」の意味も含まれておると考えられますので、魂を呼んで霊験を得ると考えた方が良いのかもしれません。
世界の未来を明るく照らして頂けますよう、霊験が頂けますように!
そして、ご神体は再びお神輿に納められて、神社へ戻って行きます。
この階段を登って行くのが大変です!神輿を担がれた方は本当にお疲れさまでした、多くの御利益が得られる事でしょう
◆荒神鎮め
玄蕃祭に昔から行われておる行事として、荒神鎮めが有ります。
地域の災いを鎮める祭で、昔は相撲(すもう)などと一緒に奉納されておりました。子供相撲でもやったら面白そうですね
◆安居神楽の奉納−−−午後3時30分から
設営されたステージを清め、大崎玄蕃の神に降りて来てもらう事を目的として行われました。
中央に設置された大きな花台には、昔からその神社の神様が宿るとされており、祭の最後には、大崎玄蕃大神が宿った花を皆で持って帰り、神棚や仏壇の横に供えます。
まず、安居神楽保存会の会長からの挨拶、沿革が述べられました。
1,悪魔祓の舞 舞人:三好学
周囲の悪魔を退散させて、病平癒、家運長久の霊験を得る舞です。
2,神迎の舞 舞人:細木栄三郎 岡林誠
二人舞で行う優美な舞です。神々をこの場に迎える舞を行いました。
写真は撮影されておりません。
3,和卓の舞 舞人:岡崎アリサ
両手に膳を持ち、神様に供え物をする舞です。小学6年生のアリサちゃんが美しく軽やかに舞ってくれました。チャッパを美しく鳴らしてくれているのも小学6年生の岡林美弥子ちゃんです。
■会場では、キャラクターや、武田氏パネル展示なども行われ始めました
入り口や、道路に大型看板の設置などを数カ所で行いました。
当会では撮影できなかったので、持っておられる方の投稿などお待ちしております
午後4時、太陽も西の山にかかり、次第に薄暗くなって来ました。
イベントを見に来た方々がどんどん増え始めたのもこの頃です。
神事の行事は、滞りなく時間通りに行われまして、400年の玄蕃祭は、これから武田勝頼土佐の会が主催するイベント【秋の陣】へと移ります
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