2011年03月30日

長宗我部家臣七十三士慰霊祭(3月6日)の記録

この日は武田勝頼伝説モニターツアーを終えて、高知市種崎浦戸湾へ向かいました。


 主催:NPO法人 高知NPO浦戸湾昔ものがたり語り部の会
 日時:平成23年3月6日(日曜日)午後4時30分〜

祭儀は、神仏合同で厳粛な中に執り行われました。

 式次第は以下の通りです。
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 「長宗我部家臣磔刑七十三士慰霊祭」趣意書にはこう書かれてあります。

土佐の新しい領主となった山内一豊は、桂浜の恵比寿神社の祭礼で行われていた奉納相撲に着眼し、入城を寿ぐ祝賀相撲大会を催しました。
 そして、土佐国中にお触れを出し、力自慢の力士を募りました。
 この中には前年、鎮圧された浦戸一揆の残党など多くの相撲好きの元の長宗我部家の遺臣たちも含まれていました。
 そして慶長六年三月一日、興行の最中、かねてより密かに摘発していた長宗我部家の遺臣達七十三名を一網打尽にし、種崎の渚へ引き立ててここで磔刑に処しました。
 もとより旧勢力に対する政治制裁であり、見せしめ以外の何物でもありません。

以降、一領具足など長宗我部家の遺臣達の抵抗は沈静化し、この凶事は忌諱(きい)となり、公表も供養もされず深い闇の中に葬られてきました。しかしながら、土佐の山河に伏した元の家臣たちの間では脈々と語り継がれ、やがて幕末を迎えます。
 維新回天の偉業を成し遂げた土佐勤王党をはじめ、勤王の志士たちの多くは何らかの形で長宗我部家に関わった人たちでした。
 この種崎浜の悲劇が、土佐の倒幕運動の原動力の1つとなり、種火となって燃え続けていた事は否めません。
 すでに410年が過ぎようとしている今日、歴史の波に飲まれて、従容(しょうよう)として祖国の国難に殉じた七十三士の御霊をお慰めし、秘められた浦戸湾の哀史をひもとき、彼らの士魂があすの郷土発展の縁(よすが)となることを願い、この慰霊祭を斎行します。

祭儀 神事 斎主 仁井田神社宮司 吉野 慶
      祭員 若宮八幡宮禰宜 大久保 千鋭
      舞人 若宮八幡宮権禰宜 弘田 美穂子
      伶人 高知県護国神社権禰宜 大岡宜徳
   仏事 導師 浄土真宗本願寺派 無量寿山
           興隆寺住職 藤原 亨
         浄土真宗本願寺派
           円龍寺住職 大川 淳徳



また、慰霊祭の御霊慰めの舞とご詠歌が奉納されました。
 「偽りの 渚に果てし 秦士(ますらを)の 魂よ安かれと 祈る今日かな」

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受付では、長宗我部ファンクラブにて、長宗我部への関心を深めていただこうと
5月に公演される「誰ガタメノ剣」(シアターキューブリック)の前売り券や
長宗我部元親のクレイアニメを販売させていただいておりました。
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長宗我部七十三士の御霊安かなれとご祈念いたします。
posted by makkun at 11:53| 高知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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