2022年10月01日

諏訪湖のご神体を土佐から的確に遙拝していた勝頼(検証:グーグルアース)

これは昔から伝えられている事なのですが、武田勝頼(大崎玄蕃)は長野県の諏訪のご神体を驚くほど正確な方角に向かい日常的に土佐から遙拝しておりました。

もはや、都市伝説に近い事だと思っておりました、なぜならば、武田勝頼が建立したとされる武田八幡宮(高知の)からシンボリックな神山である黒森山の山頂に向かって拝むと、諏訪湖のご神体を拝める!という事は、地形と歴史は連動しているのか?偶然か必然かの話になって来ます。

それをグーグルアースで検証をしたら、驚くべき結果が得られました。

まず、大崎八幡宮の境内前の広場と、長野県の諏訪湖を結びます。その時、勝頼の生家である観音院と結びました。
終点の観音院と結んだら、(右に見えるのが諏訪湖)
kannonninsuwa.png
以下が、大崎八幡宮と観音院をダイレクトに結んだ直線です。
nippon.png
ダイレクトに大崎八幡宮と、諏訪の観音院を結ぶとこの通りです。
淡路島、京都を通り、琵琶湖の最南端を通り、諏訪湖へ通る1本の直線です。
この直線上に黒森山があるか??です。

はい、ありました。山頂ではありませんが、黒森山を通っております。地球は丸いので、このラインが正確だとは思っておりませんが、
以下がその結果ですので、順番に説明をしていきましょう。
oosakikuromori.png
大崎八幡宮と諏訪の観音院を結ぶと、黒森山の山頂が若干ですが、ほんの少し右にそれています。
立体で見ると。
rittai.png
山頂からやはりほんの少し左寄りに見えます。ですが、詳しい人なら分かるのでしょうけれども、地球は丸いので、完全ではないかもしれません。しかし、言い伝えは本当であったと言っても過言ではないでしょう。
「大崎八幡宮から、黒森山を拝むということは、諏訪湖のご神体を拝むという事になります」
実は、この方向に、ダイレクトに参道の階段が伸びています。参道と、この黄色のラインはほぼ同じ方向といって良いでしょう。
 それにしても、その方位を確信できるほどの技術が当時あったのか?以前の記事で、春分秋分の時の太陽の登る位置と史跡の関連性は説明しましたが、今回はそのようなもので説明がつくものでは無いと思います。もっと高度な何か。

■黒森山の山頂には、黒森神社があり、熊野蔵王権現を祀っております。大崎八幡宮の宮司の岡林家は代々が熊野神職です。

武田勝頼は諏訪湖をご神体として崇めておりました。ご神体は諏訪湖そのもの、建御名方神(タケミナカタノカミ)でありますが、
ここで、気になる情報を追加いたします。

諏訪湖には巨大な石棺のようなものが確認されております。
このような巨大なものが戦国時代に作れたかどうかは疑問ですが、土佐には勝頼たちが崇敬していたとされる、古代の神の伝承があり、
諏訪に天照日大神が出現し、地球上に生命が誕生したという信仰話があり、ここ高知県の仁淀川町大崎にはその信仰が今でも受け継がれており、はるか昔の古代文明の存在をほのめかしております。

また、はるか昔には、この四国の山間から大変貴重な鉱石が採掘されて、中国や日本の権力者の手に渡ったとも云われており、もうこれ以上続けると都市伝説などの色が濃いめとなりますので、止めておきます。伝説ではそういう不思議な力を持つ石があったそうなw
空海はなぜ、四国に88カ所の寺を作ったのかも考えてみると面白いですよ。
他にもこういった伝説がいくつか有りますが、ブログでは、まあこういうのもアリだろうと思いアップして行きます。
もちろん、歴史的に調査した事や、考察なども続けていきます。

明日は玄蕃祭ですので、現地からその黒森山を拝みたいと思います。


posted by makkun at 19:16| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック