2022年10月10日

武田八幡宮の創建1200年例大祭に正式参拝をさせていただきました。

822年(弘仁13年)に創建されてより1200年、この輝かしい大祭の日に土佐の会として参加できましたことは、恐れながらも大変喜ばしく、在りがたいご縁にございます。令和四年十月十日(月曜日・祝日)

また、この大祭において、引き寄せられたかのごとく数々の言の葉では足りない素晴らしいご縁をいただき、この時、この場所に居られた事はなんと奇跡的なことではないかと感じております。どのような出来事かは、いずれ記す時も来るだろうと思います、勿論の事でございますが勝頼生存説にまつわるお話等です。

さて、韮崎に入り、最初に立ち寄りましたのは、「甘利沢川さくら公園」です。
この公園には、土佐の「しだれひょうたん桜」が植樹されており、4月に訪れた際にも、韮崎の「武田の里を守る会」小林会長方等にご案内されました。今回も道中にある事からこの桜に参拝。
 ↓ こちらが10月現在のひょうたんしだれ桜です。
 IMG_3650.JPG 4月にはIMG_7355.JPGIMG_7366.JPGこのような感じで美しく咲いております。
また、記念植樹した時に付けたプレートには「武田勝頼土佐の会」と記されております。懐かしい。
IMG_7356.JPG
武田発祥の韮崎で、勝頼が高遠から土佐に植樹したとされる桜が再びこちらに戻って来くという、
私たちにとりましても、なんとも嬉しい事ですよ。


◆◆◆◆◆◆武田八幡宮◆◆◆◆◆◆ 
2022年10月10日 大祭

午前十時過ぎに到着をし、社務所から総代長の江上様にご案内をいただき、
 神楽が始まっておる横を通り、本殿に向かい、拝殿にて1200年のこの良き時を斎い奉りました。

正式参拝が始まるまでの間、総代長江上さまに為朝神社をご案内いただきました。
IMG_3672.JPGIMG_3678.JPGIMG_3679.JPGIMG_3683.JPG
彫り物の素晴らしい社と為朝木造です、大きくてなかなかの迫力でした!

正式参拝の前に、拝殿前で拝む方々に何やら不思議な縁を感じ、うちの会長岡林照壽がお声かけをさせていただいたのは、
吾妻傳諏訪神流長刀術の演舞で奉納をされる伊与久松モフご一行でした。
    
伊与久様との出会いは今後の私たちにも大きく影響をして来ることで、今思い起こしても魂が震えるような出会いでした。
 時と場所を選んだようなこの奇跡。ありえない事です。
ふだんは人様の参拝の様子を映すという事はないのですが、美しい参拝でしたので、思わずパシャリと1枚。祈念すべき一枚となりました。

真田幸村に関する伝承や、勝頼たちが岩櫃に行ったという口伝、また土佐の系図にはそれを示すような事が書かれており、これに関連する一連のつながりは、今回の出会いで発展するような、正に私たちが探していた答えなのです。
今後、お話を重ねて行き、私たちもできるだけ多くの方たちのご縁ある場所へ足びたいと思います。

さて、その後に正式参拝をさせていただきました。(撮影はしておりません)
・その時の様子は、高知の勝頼墓所(鳴玉神社)の写真を祭壇中央に宮司様がおいて下さり、
会長は、高知にある正八幡宮のご神体の写真を膝に抱きまして、参拝を行いました。
 宮司を中心に、武田の里を守る会、武田勝頼土佐の会で記念撮影をしていただきました。
大祭行事をひかえお忙しい中に正式参拝をさせていただき本当にありがとうございました。

正式参拝を終えて、階段を降りると、伊与久様と武田神社の宮司様が居られたので記念に一枚をいただきました。

 午後1時からは吾妻傳諏訪神流長刀術の演舞です。
おおっ! 迫力があり、キレの良い洗練された空気になりました。
とても技が多く、これを伝えてこられた先生方には頭が下がります。演舞が未来永劫に伝えられますように。
伊与久様とこれからまた話を重ねて行きたいですね、武田の里のために私どもも力を入れて行きます。✨

◆午後二時から大祭の神事。笙の音が厳かに奏でられる中、
武田勝頼土佐の会の岡林会長も席に加えていただき、同じく土佐のご神体の写真を膝に抱え、
玉串奉奠をさせていただきました。案内された会名が「高知県、長生教監長」だったかと(笑)それでも良いですわ、信勝を先祖神で祀っておりますもの。
 私はこのとき、外に居りまして、カメラを携えておられた大石様とお話をしていたら、なんと20年ぐらい前に武田の前調査で高知県の勝頼墓所に来た事があるとのこと、そしてその観光協会の当時の課長様がイベントや祭典に来られたのですね、此は此は、本当に素晴らしい再会で、当時の韮崎からの視察団や多くの方のお導き、韮崎市のNPO法人「にらさき味噌汁学校」の高木智朗代表理事様には大変良く接していただき、感謝の念が絶えません。今は亡き高木先生、これからも韮崎との交流を大事にして行きます。


 武田八幡宮には20ほどの演目を持つ神楽があり、午前から午後までずっと、神楽が舞われ、太鼓と笛の音が境内には響き渡っておりました。こちらもじっくりと見たかった。 
実は私岡林もこの神楽殿にて、土佐の安居神楽を3〜4演目ほどさせていただきました。10年以上ぐらい前の事ですが、その時にご案内下さったのも、江上年秋でした。当時の事をよく覚えていただいており嬉しく思いました。


武田八幡宮の1200年目にあたる大祭に、私どもはこのように参加し、また奇跡的な出会いを授けていただき、
武田の大神様、諏訪の大神様、ご先祖様に感謝。またまずもって、交流を続けて下さっている武田の里を守る会には感謝しております。

 そして、大事なこと、10月30日には武田八幡宮の創建1200年の行事があるとのこと、諸用で参加は難しいですが、
行ける方はぜひ参拝を。


◆池川氏について
この日泊まった場所で、山梨県の池川氏、高知県の池川氏についての談義を行いました。
山梨の池川(いけがわ)家は四国から来たといわれておる事、勝頼の史跡群と近いことから今回の談義を行うこととなりました。
IMG_3856.JPG
武田勝頼とともに大坂夏の陣に参戦をした土佐の郷氏たちがおり、その中の一つではないかと思います。
高知県の仁淀川町(旧池川町土居)は、今は仁淀ブルーで一躍名をはせました、池川氏はこの土地の祖であったと云われ、土居の町中に池川氏の墓があり、尊く祀られております。相模の鎌倉から土佐移住した安部氏の初代が池川を名乗っております。私たち岡林もルーツは鎌倉。
近く、安部氏の方々とお会いするので、本年中に池川家の何かわかれば面白いなと思います。







posted by makkun at 14:17| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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