天正14(1586)年 6月15日 大崎八幡宮(旧 正八幡宮)建立。 436年前(現在 西暦2022年)
建立をされたのは、大崎玄蕃は武田勝頼の変名だとされております。
中島家はそも大崎村の氏族で、長宗我部の分家としてこの地に在り、
現在の八幡宮の建つ小高い山は、中島という名称のとおり、仁淀川と土居川の合流する場所で、
川を通じた交易の中心でありました。
天正14年、この地の豪族である片岡氏の居城であったとされる中島は、戸次川にて主が戦死し退き
武田勝頼(大崎玄蕃)がこれの実権を握り、(正八幡宮、川井神社)として建立することとなった。
中島氏はこの長い歴史の中で、交易の中心を担い、幾多の困難を乗り越え、歴史を土地の郷氏たちと共に歩んで来た。
その中島氏の墓所群は、今の大崎八幡宮の南側にあり、白山神社(白山垂山神社)、鳴無神社の方面を向き、何か言いたげそうに佇んでいる。
その、大崎八幡宮の役員として、中島の家を守り、当会の副会長である中島道雄氏が帰幽された。
私たち、武田勝頼土佐の会、この会を支え続け、
照らし続けてくれていた中島道雄氏が本日(令和4年10月17日)、闘病の末に亡くなられました。享年73才でした。
葬儀は20日の11時より、吾川葬祭にて執り行われます。(神儀)心よりのお悔やみを申し上げます。
当会は、中島氏の強い熱意と行動力無しには存続は困難でしたし、数々の事業の発生は無かったのかもしれません。
大崎の地に、勝頼の伝承は元より、仁淀川の名前を県内外に知らしめ、
花や草木に気を配り、町の人を笑顔にし、どの里々においても掛け替えのない人物でありました。
今はただ魂を安らかなれと祈ります。
大竜王のゆかりも深き、仁淀川のたゆみなき流れに数多の歴史を秘めて、定めの任々
これからも、その意思は受け継がれます。