2023年2月18日の午前九時より、
文化財調査の見学等を、大崎八幡宮からスタート。参加者は20名近くになりました。
◆町指定の文化財に登録されているのは「木像の御神体」「神鏡一面」となります。
すぐに禊ぎ祓いをし、御正体の拝観を行うため、社殿の扉の奥、中心にある「12尊木像」(武田勝頼が、武田八幡宮から携えて来たものと古くから伝わります)を、調査員の見やすい場所に移し、
手鏡を3本と、武田菱の入った刀の鍔を1つを拝観していただきました。
刀の鍔に関しては、初めてお見せするものとなります。これは宗教法人長生教の本院にあって、古来は八幡宮に納められたものではなかと思っています。
。時間があれば、中にある、奉納されたものを全部見てみたい、そんな気がしますね。御神体の中には、「玄蕃」「美都枝」など6〜7体の箱が納まっており、こちらも近く調査という名目を立てて拝観をしたいと思います。
◆神官系図(岡林神官の系図です。)右端がはじまりで、左に向けて読みます。
この3つの画像は右端の人物が、大崎玄蕃頭源勝頼建立とあり、
次に甲斐守岡林勝貞で、正八幡宮の初代神主と書かれてあります。
こちらの系図の右端の部分から奉納されたものを、文字にすると。
「土佐國吾川郡片岡郷大崎村川井鎮座 正八幡宮 天正十四年丁亥六月十五日
願主 大崎玄蕃頭源勝頼建立 神主 岡林甲斐守源勝貞
右 八幡宮御神躯十二尊木像安置之 神鏡一面 弊串一本 奉納有之」
つまり、12尊木像と神鏡一面は確実に奉納されたものであることが分かります。
刀の鍔は、大崎家の子孫の方が奉納されたとの事で、大事に保管されております。
さて、この木像、後の時代に分祀されます。
この大崎八幡宮からすぐ直線にして500mほど東の葛原にある八幡宮に2体が分祀され、
大崎八幡宮には10体が現存しております。
◆神鏡一面につきましては、複数在る中のこれであろうとなったのは、
高野山に所蔵されている武田勝頼の肖像画の袂(たもと)の家紋と鏡の裏面に描かれている剣に花菱が一致することから、
天正十四年の建立時に武田家の御本尊と一緒に奉納されたものと考えられております。
大崎八幡宮と、武田八幡宮とは兄弟神社なのか(会長の考察)
資料伝承から
1,武田家系図から天正14年(旧暦6月15日)勝頼建立と検知
2,御神体は武田氏始祖(12体神像)武田家及び神官系図から検知
・御正体は勝頼自ら携えて来たと、高知県史から検知
・武田八幡宮からと口伝で伝わって来た。
・武田家系図の巻末に12名の名前と戒名が書かれていて、土屋惣蔵が報告した記述からして武田信玄公に報告したと思われる。
3,鳴玉神社(鳴王神社)に勝頼と三枝夫人(さえぐさふじん、みつぎふじん)が祀られる墓所がある。
4,寺村観音堂「流光山建立」と武田家系図の勝頼欄に記述あり。
・寺名は「流光山成福寺」地検帳から検知、信玄他の位牌があったと土佐の武田家系図に記述有り、今は処分されて無い。
この系図の同欄に、正八幡宮建立と記述あり。
・勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大禅定門 と武田家系図に記される。
5,神官系図に12尊木像 神鏡1面 弊串1本奉納安置とある。
この12尊木像には、それぞれの人物であると伝わります。
誤字があるかもしれません、ご指摘ください。
名前 戒名
1 新羅三郎義光公 誠忠院殿榮國義徳大居士 甲斐源氏初代
2 同 御内室 壽仙院殿浄月輝白尼大姉
3 相模守義業公 浄光院殿静國壽勝大居士
4 治高兵衛義定公 大泉院殿香巖常寛大居士
5 武田刑部三郎義清公 清願院殿常春寂念大居士 二代目
6 義清 御内室 晴雲院殿深惠慈貞尼大姉
7 四郎兵衛義仲公 松林院殿瑞雲道清大居士
8 逸見黒源太清光公 白巖院殿觀正義深大居士 三代目
9 武田刑部三郎師光公 常觀院殿梅雲快旭大居士
10 同 御内室 西養院殿瑞雲貞琳尼大姉
11武田太郎信義公 瑞蓮院殿樻勝光邐大居士 甲斐武田四代目
12加義治郎成光公 無記名
出典:武田勝頼土佐の会
同日の調査に続きます→