生天目の陣(3月11日2023年)仁淀川町交流センター3Fにて開催されました。
10日(前日の会より掲載)
11日(土)の歴史ロマン講演会、演舞は盛会となしました!10日〜14日に及ぶ交流(継続中ですが)
控えめに言っても凄かった、エンターテイメントにまで発展した今回は神回でした。
❖生天目(なばため)とは、天正10年(3月11日)天目山に敗れた武田の家臣が、
「天目山に生きる!」と称された言葉。
その生天目の第一陣を土佐にて狼煙を上げさせていただき、開幕です。
その生天目の第一陣を土佐にて狼煙を上げさせていただき、開幕です。
講演会の前日の10日(金曜日)この日に遠方各地から仁淀川町の大崎にご参画をいただきましたのは、
長野県諏訪より、真田忍者研修会会長の伊与久松ヮ=B山梨県大月市の小山田信茂公顕彰会のい小俣公司会長をはじめ6名の顕彰会の方々。
千葉県の女流作家である中津攸子先生。横浜から高知へ帰郷され、最後の武田などの著者である片岡昌一先生。
愛媛県にて地域連携コーディネーターである坂本世津夫先生。武田勝頼土佐の会の会員。
午後4時半に仁淀川町庁舎前に集合し、町長に表敬訪問。
大月市市長からの親書を小山田信茂公顕彰会の会長、小俣交司氏より、仁淀川町長、古味実氏に手渡し、今回の参会にて表敬訪問を果たしました。
そして、各々は10日晩を過ごし、勝頼が土佐に来たという談義に花が咲きまして、
✨11日の朝、武田勝頼公の土佐の墓、鳴玉神社に参ります。
この墓は、勝頼公とその奥方様が眠る墓で、脇には当時から系図にも記される古い柿木が未だに実を付けます。
それから、一行は、武田信勝と、武田義男の墓へ。
系図から墓である石室に墓標を建立したのはここ十年の間に徐々に有志により行われて来ました。
🔷そして、おなじみの勝頼資料館。
会長がガイドをしてまわる定番です。ここには土佐で勝頼にまつわる資料コピーや写真、伝統文化の紹介などがされております。
🔸大崎八幡宮参拝。
系図には、正八幡宮とされ、ご祭神には武田勝頼公が武田八幡宮より携えてきた木尊像などが祀られております。
一行はこちらに参拝をされました。遠く長野、山梨(信州、信濃)からのご参陣を勝頼公も喜んでおられるのではないかと、そう思うぐらいの優しい天候でした。
小山田信茂公は、汚名を自らかぶろうとも、忠義を果たし、勝頼公を逃がす時間を作られた。
そう忠臣の中の忠臣であります。御神前と墓前にお参りされる姿に、古き絆がつながれた様には本当に感動いたしました。
武田家の忠臣である、真田氏、小山田氏、がこの地に参詣いただきましたことは、後の時代にも語り継がれるでしょう。
そして、会場である仁淀川町交流センターへ。3月11日(土曜日)武田勝頼土佐の会の新たな陣の開幕です。