11日(土)の歴史講演会、演舞は盛会となしました!10日〜14日に及ぶ交流(継続中ですが)
控えめに言っても凄かった、エンターテイメントにまで発展した今回は神回でした。
多くの発見があり、歴史を検証される皆様には本当に頭が下がります。🙏
土佐の武田家の始祖達の魂よ安らかなれ!
会長あいさつ(岡林照壽)
本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます!。3月11日、この日は東日本大震災として刻まれておりますが、武田が天目山で滅びた日も3月11日(天正10年西暦1582年)、その時に天変地異も起こり大きな歴史も変わって行きました。その魂を弔いたいと思います。
生天目の陣、その天目山に生きた武田勝頼の家臣が称した言葉です。多くの武田、戦国武将の末裔が今まで近年まで全国で息を潜め、先祖が甲斐源氏武田であることを他言無用として来ました。近年になりインターネットが普及し、情報が飛び交う時代になり、ようやっと土佐の武田、勝頼の伝承を生かせる時代になり、その声に反応し全国(世界)の秘められた歴史が表に出ようとしております。これを通して、魂のつながりに感謝したいと思います。 今日は真田忍者研究会の伊与久松ヮ=Aそれから小山田信茂顕彰の小俣公司氏も大勢でこの土佐の勝頼の地に起こしいただきました。真田と小山田は勝頼の忠臣2つの忠臣方が来られるという奇跡です。野中兼山や谷秦山の武田家との関わりやどうやって勝頼が土佐に来たのか、そういったことを顕彰する会といたします。生天目の陣、開陣です!(略)」
仁淀川町教育長、黒川一彦様よりご挨拶
「(略)本日は生天目の陣歴史講演会が多くの来場者を迎え、このように盛大に開催されますことを心よりお喜び申し上げます。
(略 それぞのパネラーの方々のご紹介と労いの言葉をいただきました)またそれをいかに町おこしに繋げていくのか、今からワクワクしております。まだまだ歴史ロマンの範疇ではあるかもしれませんけれども、将来新たな発見があったり、また科学技術の発達により、ロマンから事実に何かしら変わることがあるかもしれません。そんな夢を抱きながら、本日のご講演を楽しみにしております(略)
結びに、本日の講演会が実り多きものとなり、1人でも多くの方に知っていただき、広がっていくことを期待いたしておりますともに
発表された方々、ご来場の皆様の益々のご活躍とご多幸をご祈念申し上げます」
結びに、本日の講演会が実り多きものとなり、1人でも多くの方に知っていただき、広がっていくことを期待いたしておりますともに
発表された方々、ご来場の皆様の益々のご活躍とご多幸をご祈念申し上げます」
本当に丁寧なご紹介をいただき、また開会を円滑に繋いでいただき、誠に感謝いたします。
さて、今回の目玉は真田忍軍の演舞と講演です。
伊与久松ヮ=B真田忍者研究会会長、伊能氏末裔、真田忍軍であられます。忍術、武術、太極拳これらの研究と鍛錬、それを普及するため日々邁進。
また、歴史の調査やそのネットワーク作りにも励まれており、今回のような講演会が整いますのも、このお人あっての繋がり。
昨年の武田八幡宮創建1200年と、信玄公生誕500年という折に、神前でいただいたご縁がここに繋がっております。
武田軍団の一角を担う密(三ツ)(忍者)武田24将の中に真田一族があり、武田の武を受け継いだ真田は勝頼公の時代にとくに発揮され、
密(三ツ者とも云われる)(忍者)は全国に散り、武田家の命脈を保つために工作をする、ルートを敷く。
なるほど、全国に敷かれた真田の忍あればこそ、土佐の勝頼もあるのではないかと考えられる。
さらには、秋山虎繁の末裔の方も相模の家に勝頼公が逃れる時にお泊めになったと語られたと、吾妻の古老の方が伊与久様へ伝えた、貴人(勝頼様?)を逃すため西へ船を出した話などなど。
うー興味深い!!
そのようなお話を聞くうちに、土佐の武田、系図に記される勝頼が落ち延びたルートというのにかなりのリアリティを感じました。
生き残るためのサバイバル術からの忍術の話の興味深く拝聴いたしました。
演舞のド迫力!カッコイイ!ここはカメラマンを用意すべきだった。
1人での演舞でしたが素晴らしかったです。武田八幡宮で初めてお目にかかり、真田忍軍という存在を知りました。
それまでと忍者のイメージがガラリと変わりました。
農具や杖を使っての演舞、こちらで用意した農具で美しく鋭い演舞に仕上げる、忍の技にシビれました。
農民なんかに扮して標的を仕留める、それにしても技の
鮮やかなこと
これらの農具や金剛杖は、うちの会員のものです ^^
🔶武田勝頼土佐の会、会長からは新たに系図から判明して来た次々の項目の説明と
「野中兼山と谷秦山の真実の罪」というタイトルで武田勝頼一族との関わりを説く。
野中兼山と池きさの娘、野中婉、そして谷秦山、一族の悲劇に裏には、武田家との関わりが、
系図から武田家につながる背景を紐解く。こちらは、会長のブログで系図や内容が確認できます。こちらのブログでも詳細を加えて後にブログで何回かにわたり分かりやすく紹介します。
(会場では資料として配られ(有料で)配布されました。
☆パネルディスカッション☆「戦国の歴史に関わる著名人を招いてのトークショー」
テーマ「武田勝頼土佐生存説と、町おこしについて!!」
トークショーでは、勝頼が土佐に来たルートや背景について、そして町おこしについて語り合う、
まず、ここにお集まりいただいております、奇跡の面々!
真田信繁公(幸村)と小山田信茂は武田勝頼公の忠臣であり、四百年以上の時を超えて集ったという奇跡の組み合わせ、
それが真田氏と小山田氏であります。❖
改めて、パネリストとして紹介しますのは、
真田忍者研究会会長、伊与久松ヮ=B
小山田信茂公顕彰会会長、小俣公司氏。
歴史図書や小説に幅広く活躍される、中津攸子先生。4回目の来町となります。
中津攸子は「日高見の国」「やさしい日本女性史入門」など幅広く歴史に関する図書を出されており、
この度は、武田勝頼が土佐に来たことを小説化して下さるとのこと、感激申し上げます
そして、最後の武田、武田勝頼回想記など数多くの出版を手掛けておられる、片岡昌一先生
コーディネーターは、坂本世津夫先生。愛媛大学社会連携推進機構教授(地域連携コーディネーター)をされ、
当会にも幾度となくお加わりいただき、歴史の裏と表についてよくお話をされ、今回もうまくまとめていただきました。
土佐に勝頼が逃れるのは単なる偶然ではなく、綿密に敷かれたルートであり、
徳川(現代の政権)へのカウンター勢力として機能すべく多くの者が動いたと、明智光秀は土佐に当然来ていて云々。。
香宗我部家は武田の直系であることから、中央とのネットワークのつなぎ役をやっていたであろうこと。。
まず勝頼が土佐へ来るまで、最後まで武田家を支え玉砕した土屋惣藏、勝頼逃亡を企て策略を手助けした小山田信茂公、武田家の終焉を演出した両名は命を投げ出し優秀の美としたのであり、本能寺の変で明智光秀が織田信長を討つ。ここには長曾我部、斎藤、土岐、朝廷説まである織田信長包囲網や、源平交代論まで交えまして驚くことばかりでした、自分の勉強不足を反省し、このご恩返しによりよい活動がして行こうと思います。
此度の内容のボリュームと濃さは、自分では言葉が足らないくらいです。
肝心の町おこしについては、伊与久先生からは、あっちには有って、こっちには無いもの、逆に、こっちには有って、あっちには無いもの、それを大事にする事、武田の里ネットワークをつないで行くことを皆で賑やかしていく事がこれからの時代には必要なのではないか賜りました。本当にそうであると思います!ここだけにあるものを発展させていく事は観光の強みになります。
我が家もこのような云われがあるという家がは、どうぞ今こそ活動を共にしましょう!
武田のネットワークさらに深く土佐に浸透させましょう!一緒に!❖
さらに、吾川郡は安徳天皇のゆかりも深き社寺が多い、実は注目すべきところは多いです
これからの時代には、情報告発することは、データ蓄積となり、次世代の研究にさらなる驚きとロマンを与えてくれる事だろうと、
コーディネーターの坂本先生が仰ったとおり、本当にすごい日本の姿が見えてくる時代。まだそれを楽しむ時代が来たのだと思えました。
🔷生天目の陣では、言葉どおりに、我々がこれから生きる道を確認いたしました。🔷
盛会に導いて下さった、中津攸子先生、真田忍者研究会の伊与久様、小山田信茂顕彰会の小俣会長を始め皆様、コーディネーターの坂本世津夫先生、片岡昌一先生、長宗我部顕彰会の皆様方、仁淀川町教育長黒川一彦様のお陰です。武田勝頼土佐の会の皆様ありがとうございます!
本当にありがとうございました!!!
この後は懇親会を行い、そこでは武田のネットワークが繋がれた事を喜び、互いの健闘を称えまして、顕彰をこれから更に深めていく事となりました。🍺 🙏
【その3へ続く】
新しい出会いあり、地区の遺跡等見学、本当に楽しい旅になりました。
御陰様にて、4月23日本件紹介の席上でも発表させていただきまして、高評を博しました。是非とも「小山田信茂ブログ」をご覧戴きたくお願い申し上げます。今後も、何かと情報交換させていただけますと有り難いことと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
小山田信茂公顕彰会の皆様のご参会、仁淀川町への表敬訪問を心より感謝申し上げます。また23日の会でもご紹介いただき嬉しく存じます。
これからも土佐、四国の武田ファンが多くつながって来る事であろうと思います。そのような新しい世代のつながりを皆様と持てましたことは、老若を問わずにロマンから歴史に関心をもって交流が活発になる兆しのような気がします。こちらこそ、何卒情報交換などできれば幸いに存じますので、どうぞ宜しくお願いを申し上げます。