2011年04月24日

天界集落へのいざない【5】仁淀川町桜〜ひょうたん桜 地元民のみぞ知る美しい桜名所紹介!武田平四朗の墓前祭

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わーい(嬉しい顔)何度かにわたり、武田勝頼とひょうたん桜の関係を記事にして来ました。
【過去記事】
ひょうたん桜=高遠桜!【武田勝頼が土佐へ持って来た!】
ひょうたん桜満開!
大山鎮め〜 勝頼の太陽信仰!?昭和2年の新聞より
遥か天空の彼方より 〜 花伝説・宙へ!宇宙へ行った勝頼所縁のひょうたん桜
天界集落へのいざない【4】ついに桜伝説の撮影に成功!〜ひょうたん桜〜宗津


今回は、その美しさを純粋に楽しんでもらいたいと思いまするんるん
花見時期は既に終わってしまいましたが、来年もぜひ来てください!日本一美しい!といわれる意味がよく分かる場所です。ぴかぴか(新しい)

仁淀川町桜集落の見どころは、「ひょうたん桜」「しば桜」「しだれ桜」です!
尚、今年のライトアップは中止となっておりました。


動画もアップしておりますので、下まで見て下さいねわーい(嬉しい顔)



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さらに!今回は地元民のみぞ知る、仁淀川町桜の「しだれ桜」を紹介!
ひょうたん桜の開花より1週間遅れで咲く美しい「しだれ桜」を後ほど紹介!


ひょうたん桜(天然記念物)は、
武田勝頼が甲斐からもってきた桜として知られております。
その甲斐には同じエドヒガン種の
・山梨県韮崎の王仁桜(わにざくら)
この王仁桜(わにざくら)の直ぐ近くには、武田信玄が1541(天文10)年に再建した本殿が残る武田八幡宮。そしてさらに、桜のある大仁塚(おおわにずか)は、日本武尊の皇子武田王がこの地を治めた後、葬られた場所と言われています。

・長野県の高遠桜(たかとうざくら)
武田勝頼が城主と務めた高遠城には、同じ品種と考えられる高遠桜があります。
高遠城は1547年(天文16)、武田信玄の命により山本勘助、秋山信友によって大改築された城。
桜の蕾(つぼみ)の時の色もそっくりです。
天然記念物で苗などの外への持ち出しを禁止されております。

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高知県吾川郡仁淀川町
■いのICから国道33号線を松山方面へ50分程度
仁淀川町の大崎という場所まで国道33号線を走って来ます。

大崎に来ると「ひょうたん桜」の看板が見えますので、山手方向へ曲がると交番があります。

今回、武田勝頼ショップテントを設営し、観光案内や商品の販売を行いました。
こちらのテントがそうです。
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観光バスが数台でローテーションを組み、勝頼の史跡観光ガイドもさせて頂きました。
おかげさまで勝頼くんせんべいも大好評でしたぴかぴか(新しい)
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ここからが登り口となり、桜までは車で5分少々です。
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登り口の近くには「武田勝頼の墓」があります。

車(セダン)駐車場はシーズンの時は混雑もします
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駐車場の横ではブンタンの販売や良心市!
地元の新鮮な野菜なども販売しております。
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向こう側に見えるのが、桜の美しい集落です。大崎玄蕃こと武田勝頼が拓いたとされる集落です。
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◆大藪彼岸桜(おおやぶひがんざくら)
樹齢500年とも言われておりますが、勝頼が持ってきたものなら430年ほどの桜です。
案内板や記念碑、大山祇大神を祀った祠など、この祠のあった場所に
勝頼は杖を立て、甲斐から持って来た桜の種を撒いたと云われがあります。
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この大木の前には下の公園に降りる道があります。桜を正面から見ることができるポイントですのでぜひ行ってみて下さいね。
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みなさんお弁当を美味しそうに食べております♪
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さらに公園の道を進みます。
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その先でちょっと寄り道。
昔はここに飼われていた牛が何頭もおりました。現在はもういません。
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公園の方へ戻ると、「ひょうたんしだれ桜」
しだれ桜にひょうたん桜が混ざって出来ためずらしい桜ですハートたち(複数ハート)
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つぼみの形が「ひょうたん」ですわーい(嬉しい顔)
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対岸に見えますのは、宗津の集落です。
この桜の集落からは土佐〜伊予の美しい山並みが見渡せますぴかぴか(新しい)
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◆山と桜の絶景ポイント
販売所と集会所のある場所からは、美しい山並みと、桜が同時に見られます。
売店では食事やお土産物も売っております。
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ひょうたん桜の苗も売っておりまするんるん
お土産物はどれも大好物です!
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ゼリーも大人気exclamation×2
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売店や集会所のまわりはけっこう広く、トイレもあり
カメラマンや花見客でにぎわいます333.jpg334.jpg
集会所の隣の社には、戸分神社、牛頭天王大明神を祀ってあり
豊かさと、病気平癒の神様です。
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良心市に再び来たら文旦など在庫が再入荷しておりました!
また、ひょうたん桜のオリジナルタオルの販売も♪
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菜の花の黄色も大変美しいものです!
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◆しば桜もそこそこ咲き始めておりました!
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かわいいさらに一週間後!ぴかぴか(新しい)
しば桜としだれ桜が美しい時期になります
しば桜は、老朽や動物による被害で規模が小さくなりましたが、やはり美しく気持ちの良いものです。この色あいの良さがたまりませんね♪
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以前は規模も大きいものでした↓2008年撮影。この頃以前は更に美しい
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さて、お待ちかね?の地元民が知る
美しい「しだれ桜」。しば桜と同時期に咲きます。
本邦初公開!
ぴかぴか(新しい)

ひょうたん桜の大木を1分ほど進むと、休憩場所があります。
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その左手に細い道があり、そこを登り奥へ進みますわーい(嬉しい顔)
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すると、そこには、「しだれ桜」の世界が広がっています!
期待して損はないです。ちょっとやそっとの綺麗さではないです。

写真の解像度が悪いのですが、その場はもっと本当に気持ちの良いものです。
地面もスペースがあり、綺麗ですし、御座でもあれば座ってゆっくりできます。

風景も相まって本当に美しいぴかぴか(新しい)
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この日の夕方、桜の武田神社にて大崎半四朗の会による
武田半(平)四朗の命日(4月16日)に慰霊祭が行われました。
【武田(大崎)半四郎の墓前へ】

大崎半四郎という人物は武田信玄の三男である信仲のさらに嫡男で、
名前を安行と云い、大崎半四郎を名乗ったことが系図からも見られます。
 定説では信玄の三男は夭折(幼くして亡くなる)しております。
昨年2010の春の陣ツアーはこちら

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春の陣として予定もしておりましたが、今回は代表と関係者のみで祭司を執り行いました。
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そして再びこのしだれ桜にちょっと立ち寄って帰りました。
この桜集落の氏神神社は、大藪七所神社です。ここの彫り物も素晴らしいですよ。

さて、帰路は(シーズン時基本)一方通行です。
駐車場から見た風景です。帰路の道は今年新しく抜けたばかりの道があり、
混雑を防ぐために作られました。
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桜の集落もよく見えます。
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仁淀川町桜、いかがでしたか?ひょうたん桜がこの場所は有名ですが
他にも見どころは沢山ありました。


さらに仁淀川町には広い範囲に花の美しいエリアが点在しており、
どれも素晴らしい場所ばかりです。天界集落として、この仁淀川町の桜や桃などをこれからも紹介してまいります!次のブログをお楽しみに!わーい(嬉しい顔)



さて、動画も見たいとのリクエストがあったので、動画もアップしました。
ただし、確認程度に撮影したものですので、ブレなども多く見づらいかもしれません。
どうぞご了承のうえ、ひょうたん桜を動画で見て下さいぴかぴか(新しい)































最後の動画は武田平四朗(大崎半四朗)墓前祭の様子です。
音はミュート(無音)になっていますわーい(嬉しい顔)



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そして、今日(4月23日)は私のいとこの結婚披露宴でした。晴れ
ひょうたん桜、富と繁栄をもたらす「ひょうたん」の力でどんどんまい進して下さいグッド(上向き矢印)わーい(嬉しい顔)ご結婚おめでとう!ぴかぴか(新しい)
posted by makkun at 02:21| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

天界集落へのいざない【4】ついに桜伝説の撮影に成功!〜ひょうたん桜〜宗津

カメラこの画像や映像は、伝説を初めて捉えた貴重なものとなりましたぴかぴか(新しい)


晴れ伝説のとおり、ひょうたん桜の大木の上部にあたる山から太陽が昇ります晴れ



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仁淀川町桜の
ひょうたん桜には、大崎玄蕃こと武田勝頼の伝説があります。

仁淀川町桜は山の尾根の松山街道に沿った天界集落で、風光明美な場所として知られ、特に桜の咲く時期には多くの観光客が訪れます。

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 ひょうたん桜の中でもひと際大きい桜は「大藪の彼岸桜」と呼ばれ
樹齢が400年以上(地域では500年といわれる)あると伝えられております。

このひょうたん桜は、武田信玄の4男である武田勝頼が甲斐から来た時に
この場所(旧:大崎村大藪)を武田家再興の場所として定め、大山祇神社から受けてきた
大山祇神を祀り、大山鎮めを行い、この集落を拓いたと伝えられております。
さらに、ここには
武田信玄の3男の子であります武田神社と武田平(半?)四朗の墓というのもあります。


武田勝頼が拓いた村「大藪(おおやぶ)」


大山鎮めを行った場所へ杖を立て、薬として甲斐から持ってきた桜の種を撒いて実ったのがおこの大きな「ひょうたん桜」だと云われております。


この場所こそが、現在ひょうたん桜の大木が咲き誇る場所なのです。

そして、この「桜」の集落の真西の対岸には「宗津」という集落があります。
その集落の大山祇神社から春分の日に、対岸の桜集落を見ると、ひょうたん桜の大木の真上あたりから太陽晴れが昇るといわれております。

以前、長野県から来て頂いたシンガーソングライターの美咲さんのマネージャーの方が
方位磁石を取り出し、「この桜の真西には何がありますか?」と聞いてきたので
「大山祇神社です」と答えたところ驚いていた様子でした。
なんでも、勝頼の生まれ故郷「諏訪」では太陽信仰が重んじられていたという事です。
また「杖」は柱を表し、どちらも大変重要な行為だと考えられております。


【桜(大藪)と宗津の位置関係】

真東(桜)と真西(宗津)に存在する。下の画像は太陽の日の出と日没の位置です。
障害物(山)により、位置がだいぶ異なることはあります。
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また、日の出と、日の入りの方向に偶然かもしれませんが、明神山と黒森山があります。
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それ以来、私はこの太陽の昇る伝説を確かめようと、春分の日(3月21日)を待ちわびておりました。
○こちらが昼間に宗津側から見た、桜の集落です。○

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そして、その伝説の瞬間を捉えた画像と映像で、その時の模様をお届けしますぴかぴか(新しい)

まず、春分の日までにシュミレーションできないかと、グーグルアースにて3月21日(春分の日)に太陽の出る位置を確認することから始めました。
これがその画像です。
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元画像↓
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すると、なんと伝説どおりに桜の真上に近い場所から日の出が確認できましたexclamation×2
パソコンでのシュミレーションなのですが、これには期待も高まります。


そして、3月23日、
(21日は天候に恵まれず23日とさせていただきました。ほぼ太陽の昇る場所に差は無いはずです)


午前6時40分。私は桜の対岸にあります、宗津から朝日が昇るのを待ちました。


武田勝頼の桜伝説に会えた感動の瞬間!
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その場所から確かに太陽晴れが昇っていきます! 
なぜ、勝頼はこの場所を再興の地にしたのか?

それが太陽信仰や大山祇神社、
大祝(諏訪大社や大山祇神社に共通する神主の最高位)
様々なキーワードが答えを出してくれているかのように思いました。
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◆日の出の動画です。伝説と神話(武田勝頼と日本古来の信仰)◆






こちらが、宗津の大山祇神社
 年間を通して多くの祭礼が行われ、毎年3月22日には春祈祷や諸難除けの祀りが行われます)
太陽の光が次第に、境内から社を照らして行く様が幻想的でした。
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この光景は秋分の日にも見られます。


iPhoneの太陽位置確認ARソフトでも併せて確認しました。
このARソフトは若干位置がズレて表示されます。
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便利なのは確かです。その時間の太陽の位置が(若干のずれはあるにしろ)確認できます。



伝説の日の出で作った武田割菱!
日光の光がクロスしていたので、写真を5枚重ねたら、なんと武田菱が浮かびあがりましたるんるん
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割菱の形は田んぼの「田」ですよね、「田」には宇宙を表すという意味があるようです。
太陽で作った宇宙ですわーい(嬉しい顔)


3月22日に大山祇神社にて行われた祭礼です。
春祈祷や諸難除け
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午後からは集会所で戦没者の慰霊祭が行われました。
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神前には、村の五方に立てる木札と竹に方位除けのお札としめ縄
祓行事が終わったあとに、氏子が5か所に立てて、村の安全を祈ります。

神社では氏子が集まって囲炉裏を囲み祀りの準備。
境内には、名野川磐戸神楽の切り絵や、長州大工の彫り物が美しく
凛とした空気に満ちております。
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神社で祭礼が終わった後は、山の神の本体(ご神体)がある場所へ行きお祭りします。
「石休み場」と呼ばれる場所で、大山祇神社から8分程度かかる場所です。
古より、この岩くらを山の神の降りる場所としてお祭りしております。

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帰りに、「首切れ岩」を撮影。左手に見えるのがそうです。
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昔、力のある大男たちが、岩をかつぎ上げたと伝えられていますが、
なかなかそんな簡単に持ち上がりそうにはありません。

■お昼からは戦没者慰霊祭
集会所はなかなか広く、敬老会や様々な行事で使われて、
高機能なカラオケシステムもあります。
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こちらは宗津の昔の風景写真です。昔は山の上まで全て畑、すごい風景です。
現在は植林だらけになってしまいました。
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かわいいさて、お次のブログでは桜の写真などをお楽しみ下さい。
仁淀川町は素晴らしい場所です。わーい(嬉しい顔)
posted by makkun at 18:01| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

天界集落へのいざない【2】旅のはじまり コース 越知町横畠へ

 山の尾根から栄えた集落というのは眺めもよく、
また史跡なども多く点在し、冒険心をくすぐってくれて楽しみに満ちております。
 
この楽しみを多くの方と共有しましょうexclamation



普段は私たちは国道33号線を通るのですが、今回行くコースは天界集落をイメージしておるため、山の尾根に向かって山道を進み、景観を楽しみ、また山道でのアクセスが困難な場合には国道33号線に降りてきて、また景観の美しい山道を目指します。

難点をいうと、トイレや飲食できる場所はあらかじめ知っておく必要があり、山道のため路面の状態は国道ほど安定しておりません。  
 日本のマチュピチュのような場所を目指すわけですから、旅のジャンルでいえば「そこそこアドベンチャー」と分類されそうですね。  
ですが子供も連れていけますので、アクセスはとくに問題もありません。トイレや飲食できる場所もご紹介します


天界集落

「中央構造線」という大断層に沿って関東地方から九州地方まで点在する山の頂上辺りに存在する集落は天界集落と呼ばれている。
 地質的に見ても多くの変化に富み、この中央構造線は天界集落の生まれた背景と密接な関係がある。
仁淀川中流域にはいくつもの天界集落が存在する。遠い昔から、山が急峻なため、山の尾根を通ることが移動に適しており、また焼畑農業や、湧水なども多かったため天界を中心にした生活の基盤が整っていた。

ぜひ知ってほしい仁淀川中流域の魅力です。

さて、そろそろ越知町の横畠から行ってみましょう! バス

車(セダン)越知町は高知市から国道33号線を松山方面に
約50分、いのインターチェンジから40分ぐらいの場所です。

越知の街並み
コンビニ前です。ここから先は商店が激減します。サンプラザや、コンビニはここでお弁当を買ったり、 必要だと思うものを買いそろえることをお勧めします
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越知駅

駅にはきれいなトイレや、地元の食材、平家や武田グッズがたくさん!
越知観光協会もここに設置されておりますので、イベント情報などが豊富!
駅前の「居食屋かどた」は人気の食事処です。
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 国道33号線(車助手席から撮影)国道33号線を松山方面へ向かって行きます。
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越知橋

仁淀川をまたぎます。
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ドライブイン片岡
 
食事をとることが出来ます。平家会ではいつもお世話になっております。
越知の街中から車で1分程度です。
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右には「安徳帝の里」と越知平家会の大きなカンバンが現れます

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柳瀬の方面に右折して橋を渡ります(また仁淀川をまたぎます)

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横畠に上っていく道が左側になります。(先ほどの町内から約7分程度)

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上り口には案内板があります。

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「虹色の里横畠」
「黒森山登山口」
「松山街道」

の3つの案内があります。どれも目的地として楽しめるものばかり。
 集落を目指し、誰でも車で楽しめる手軽さを優先して「虹色の里 横畠」へ向かいます。

しばらく上って行くと分岐点に差し掛かります。
【左】栂ノ森(つがのもり) 寄り道して、武田勝頼の娘 梼姫(ゆすひめ)の墓へ行きます

【右】薬師堂(やくしどう) 横畠に向かう方向です。


(寄り道 中!)
まずは、左の栂ノ森へ向かいます。こちらは寄り道ですが、武田信玄の4男である武田勝頼の娘と一族の墓に向かいます。この寄り道は往復30分は見ておいてください。

上って行く道中、越知町の町と仁淀川が見られます。良い眺めです。ぴかぴか(新しい)
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栂ノ森の集落です。
左から集会所、風景となります。
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どんどん上って行きますと、武田勝頼土佐の会が設置したポップな看板が見えて来ました。
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檮姫(ゆすひめ)の墓のことが書かれてあります
由来が書かれてありますので、じっくりと見てから史跡へ向かうのも良いかと思います。

武田の割菱のように石筋の入った墓です。系図からこの位置が指示されており、さらにはここには末裔にあたる区長さんが墓守りをされております。
この檮姫(ゆすひめ)と左馬助のロマンスムードは、甲斐の国で見合った2人が戦乱の中土佐で結ばれる物語です。

こちらのページに紹介されております。
http://katsuyori.seesaa.net/article/151912500.html


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檮姫の墓と考えられている墓石には、武田の割菱のように見える筋がくっきりと見られますexclamation


さらにこの場所は眺めの良い場所なのですが、現在では竹林が風景を遮って見られなくなっております。ですが、この上に遍路の泊まった岩があり、その上に行くと最高の眺めなのです!
 ほんとうに近いのですが、、、
道が険しいため、足腰に自信のない方はお気をつけくださいあせあせ(飛び散る汗)
 
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登るとこんな美しい眺めです。越知町がよく見えますわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

さて、そろそろ、第1目的地の「横畠」に向かいましょう!バスグッド(上向き矢印)

分岐点まで戻ってきました。
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今度はちゃんと「薬師堂」の方面へと向かいます。右へ→

(寄り道 終!)

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道を登って行くと、横畠の集落の一部や小学校が見えて来ました。

先ほどの分岐から8分で横畠到着です。
越知町の街中から15分程度で到着する場所です
近いでしょわーい(嬉しい顔)


虹色の里 横畠





「虹色の里横畠」のホームページ猫

横畠の略歴史
 山本氏がこの地域を支配し舘主だったと云われています、又柴尾も山本氏の支配する所かと思われます、現在も横畠には山本姓が多い。
 左上に黒森山を望む(写真)
 中央上の峠が「道分かれ」と言って全ての道が合流していて街道の要衝でありました。
 松山街道:是より奥地(大崎池川・伊予)への通用門ともなっていてジョン万次郎や岩崎弥太郎も帰国の時この道を通る。脱藩の志士が通ったとも言われており、司馬遼太郎の坂本龍馬では、脱藩の際になんとこの道を通ったと書かれてあります。様々な説がありますがもっと宣伝した方がよさそうですね

甲斐の国の武田信豊とその一族は助かり、信豊の嫡子は、勝頼の居る土佐で勝頼達と再会し、横畠の里で片岡氏の家臣となり、横畠左馬介貞秀と名乗り、越知町横畑八頭地区、やがしら「館城」に住み、片岡氏が滅びた後も勢力を保ち続けておりました。そのように考えられております。

この横畠左馬介貞秀(武田信豊の嫡子)と、檮姫(勝頼の娘)は甲斐より、海と山を越えた遠い土佐の地で(奇跡的にも)目出度く結ばれ、仲良く暮らしたものと考えられます。
 ただ檮姫は病弱で、文禄(1593年)葵巳の2月8日に24歳で亡くなっております。
 結婚してから十年足らずの間に亡くなったのであろうと思われます。

あの風林火山で有名な山本勘助もここに来たといわれておるのですよ!


■横畠の集落への入り口

まず目に入るのは、大きな案内板!立派ですし、分かりやすく案内されております。
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左手には農協、簡易郵便局、小学校、薬師堂バス待合所がありますCIMG1333.jpg

右手には売店(ジュース・たばこ・日用品)と横畠建設があります
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分岐があり 左は国道33号線へ降りる道です。こちらのR33へ降りる道を選んでください。
ちなみに右手に行くと、
「黒森山登山口」
「松山街道」
「日ノ浦 あじさい街道」 (あじさい街道、ほんとうにスゴイキレイです)
どれも素晴らしい場所へと続きます、が、今回はこちらへは行きません。

R33号線の方へ降りながら、景観を楽しみます。

まあ、でも寄り道もしてみましょう!右の道へ行くとどんなになっているのでしょう
(寄り道 中!)
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左手には雪をかぶった明神山が見えます。
道を進むと美しい棚田。

 おや、看板が見えてきました。
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旧松山街道
ジョン万次郎帰国道
志士脱藩の道
黒森山登山口


見ると行きたくなるのですが、ここは寄り道を進んでおる最中ですので、そのまま「稲村(いなむら)」まで行ってみましょう!

稲村が木々の間から見えてきました。
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稲村到着!横畠から7分程度かかったか、かからなかったか

 良いところです!この素朴さが日本の山里の最高の魅力でもあります。
外国人が見たら喜びますよ!
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晴れ稲村から見た土佐の山々
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それでは名残惜しいですが、稲村を去ります、また来るねー!
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ちなみに稲村からも黒森山への登山口があります。CIMG1356.jpg
(寄り道 終!)


 ■戻ってきました「横畠」!わーい(嬉しい顔)
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寄り道が過ぎるのが私のいけないところですが、稲村に行けて良かったです。往復たったの20分程度でしたからわーい(嬉しい顔)

 横畠から仁淀川を見る!
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 ふだんは、仁淀川沿いの国道33号線から見上げる場所、そこから見下ろす風景は大変良いものです!

 高所からの風景を楽しみましょう!
歩くのが一番です、集落はだいたい一か所に集まったところを散策するのが良いです。
道もきれいですから、せっかくですから歩きましょうね!
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歩いていると茅葺(かやぶき)の家とカカシが見えてきましたぴかぴか(新しい)
可愛らしいので、即シャッターをおしましたカメラ
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 隣のお家の玄関にもカカシがあったので、このお家の人が作ったのかなるんるん

ふるさと公園に行ってみましょう!わーい(嬉しい顔)
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休憩所なんかもあり、ここからは、横畠の集落を見る事もできます。
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遠くには中津明神山が見えて、手前に見えるのは寺村、加枝の集落です。
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キジが何羽か飼育されておりました。
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公園からの帰り道
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ゆっくりと歩いても、30分ぐらいでここら辺りの風景は堪能できると思いました。

さて、車に乗ってそろそろ次ぎの天界集落(寺村)へ向かいます。


国道33号線へ
向かいの山には野老山の集落が見えます。
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野老山まで行くと、目の前にはこの横畠集落がよく見えると思うので今度機会を作って行こうと思っております。
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下り道には仁淀川の蛇行した美しい風景が見られます。
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 道はこんな感じに狭いのですが、車の待避所がけっこうありますので、前から車が来てもさほど困りません。ただ慣れていない人はかなり注意して進む必要はあると思います。
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次ぎの目的地は寺村です。 岩戸や黒森山にも寄り道します。


 ここで、お知らせです(天界集落だより)
2月11日(金曜日)は秋葉祭があります。 土佐の三大祭である秋葉祭の華麗な練りをぜひ見に来て下さい。

秋葉祭に関する情報はこちらかわいい

posted by makkun at 17:30| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

天界集落へのいざない【1】 あまり知られていない土佐山里の大きな魅力

このブログのイメージとしている、中津明神山の写真

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土佐といえば「太平洋」 山というイメージは少し弱い気がします。

 しかしぴかぴか(新しい)ここ土佐の仁淀川町には他の地域には見られないような
 ここにしかない、ここでしか見られない独特の文化や稀有の美しい天界の景観などがあります。

 このあまり知られていない美しい魅力を多くの人たちに楽しんでもらえるように紹介したいと思います。
 私のオススメルートはズバリ、尾根に近い山道をドライブするルートです 

 後ほどご紹介しましょうexclamation×2
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天界集落

「中央構造線」という大断層に沿って関東地方から九州地方まで点在する山の頂上辺りに存在する集落は天界集落と呼ばれている。
地質的に見ても多くの変化に富み、この中央構造線は天界集落の生まれた背景と密接な関係がある。
仁淀川町にはいくつもの天界集落が存在する。武田勝頼が拓いた集落もいくつか存在する。
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  「天界集落の煌き」 
農林水産省 中国四国農政局 高瀬農地保全事業所の発行する、この地域を読むのに素晴らしい冊子
「天界集落」という言葉はここからお借りいたしました。
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冊子はぜひ読んでみて下さい。仁淀川町役場などに問い合わせると良いかと思います。



 この仁淀川町。
周囲を高い山々が連なり、深い山と谷の続く風景は
国道33号線から眺める限りでは、なんでこんな山奥に住む人々がいたんだろう?
と疑問を抱きたくもなります。

夜のドライブではどう見ても星にしか見えないような高い場所にある家の光 本当によく家の光が星の光と間違えられます夜


 ひょうたん桜(天然記念物)も山の尾根に近い場所に有り、
「昔の人はこんな高い場所に植えることよく考えたなー」と耳にした事もあります。
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 眼鏡なぜ山の尾根に近い場所に集落を作り、長い間その場所で暮らしてこれたのか?

ひらめきその答えは、大昔から山の尾根(一番高いところ)を通って行くのが最も交通の便が良かったからです。どこへ行くのも最短ルートなのです。

特にこのあたりの山々は山谷が落差があり険しく、勾配のなだらかな山がほぼ存在しませんあせあせ(飛び散る汗)

地形的には太平洋へ四国が引っ張られて行く力と、地面の押し返す力によって
大きな「シワ」が出来て、それがこの「シワ」のような山々を形成したとも言われております。
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 ですからどこかへ移動するときに
まっすぐ移動しようと思えば山を下りて、谷へ向かい、川を越えて、また山を登ってふらふらの繰り返しになってしまいます。あせあせ(飛び散る汗)
 もちろん、そんなしんどくて面倒な事は誰も行わなかったと思います。わーい(嬉しい顔)
 ほとんどの人が山の尾根(一番高いところ)を通って、尾根づたいに移動するのが最適な方法だったわけです。

 さらには湧水(わきみず)や焼畑(やきはた)により豊かな暮らしが行われており、飢饉(ききん)の時代さえ難なく生き延びて来れた飲食に困らないレストラン豊かな場所だったのですリゾート


 そのため、この仁淀川町の集落は山の尾根(天界)から発展を遂げ、南米の世界遺産であるマチュピチュをも凌ぐ天界集落を形成して来ました晴れ
 武田勝頼たちもこの、豊かな隠された山里(秘境)に招かれて来る事となったのかと思いますぴかぴか(新しい)また大崎川井という里は山と平地の両方の恩恵有料が受けらる素晴らしい場所でした。

戦国時代にも、「四国なんて場所な〜んも無いよ!」と宝石の様な素晴らしい場所を攻めて来られないようにウソの情報を流したに違いありません。わーい(嬉しい顔)
知るものぞ知る素晴らしい場所だったのですねいい気分(温泉)ぴかぴか(新しい)
 

この尾根のルートこそ、仁淀川町の隠された観光ルートなのです
ぴかぴか(新しい)

道の悪さや、分からない場所へ入って行く不安のため観光ルートにならなかっただけで、
そこには、山々を見渡す美しい風景、昔ながらの集落風景、棚田や様々な史跡、桜、伝統文化などが息づいており、日本の原風景であり後世に残して行きたい風景です
 もちろん昔の人々はもっと険しい道を通ったのですが、現在では車の通れる道が整っており、マイクロバスぐらいまでなら、それほど難なく入って行けまするんるん

そういう場所に行って、実際に車をとめて歩いてみたりくつ、食事をしたり、泊ったりするともっと良い体験ができるはずです。この体験を仁淀川町のひとだけで独占してはもったいないなーるんるん

山にへばりつくように建っている集落の家々
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国道から見た景色も美しいのですが、上から見た景色は筆舌に尽くしがたい美しさがありますぴかぴか(新しい)


 そして更に、当会「武田勝頼土佐の会」が取り組む背景には、
「ひょうたん桜」「檮姫」「観音堂」「武田神社」「樫山神社」、安徳天皇に関するルート
などなど武田氏や平家の落人に関する史跡や伝承が天界の道には沢山存在します。
 また、ジョン万次郎や岩崎弥太郎が通った松山街道なども。
本当に盛りだくさんのストーリーを持つ天界ルート! 
 そしてこの美しい景色と、美味しい食事、スイーツまでセットにしたツアーの開催を計画!
春の陣!にも絡めて行きます!行きたいと思いますわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

私の友人もこのような集落に住んでおり、ちょっと町へ出かけるときなんか「下界へ行ってこようかね」などと申すこともあります(笑

これからも天界集落への誘いとして、ずーっとご紹介いたしますグッド(上向き矢印)よろしく!手(パー)
posted by makkun at 20:03| 高知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする