2011年03月30日

長宗我部家臣七十三士慰霊祭(3月6日)の記録

この日は武田勝頼伝説モニターツアーを終えて、高知市種崎浦戸湾へ向かいました。


 主催:NPO法人 高知NPO浦戸湾昔ものがたり語り部の会
 日時:平成23年3月6日(日曜日)午後4時30分〜

祭儀は、神仏合同で厳粛な中に執り行われました。

 式次第は以下の通りです。
shikisidi.jpg

 
149.jpg153.jpg154.jpg
155.jpg159.jpg160.jpg


 「長宗我部家臣磔刑七十三士慰霊祭」趣意書にはこう書かれてあります。

土佐の新しい領主となった山内一豊は、桂浜の恵比寿神社の祭礼で行われていた奉納相撲に着眼し、入城を寿ぐ祝賀相撲大会を催しました。
 そして、土佐国中にお触れを出し、力自慢の力士を募りました。
 この中には前年、鎮圧された浦戸一揆の残党など多くの相撲好きの元の長宗我部家の遺臣たちも含まれていました。
 そして慶長六年三月一日、興行の最中、かねてより密かに摘発していた長宗我部家の遺臣達七十三名を一網打尽にし、種崎の渚へ引き立ててここで磔刑に処しました。
 もとより旧勢力に対する政治制裁であり、見せしめ以外の何物でもありません。

以降、一領具足など長宗我部家の遺臣達の抵抗は沈静化し、この凶事は忌諱(きい)となり、公表も供養もされず深い闇の中に葬られてきました。しかしながら、土佐の山河に伏した元の家臣たちの間では脈々と語り継がれ、やがて幕末を迎えます。
 維新回天の偉業を成し遂げた土佐勤王党をはじめ、勤王の志士たちの多くは何らかの形で長宗我部家に関わった人たちでした。
 この種崎浜の悲劇が、土佐の倒幕運動の原動力の1つとなり、種火となって燃え続けていた事は否めません。
 すでに410年が過ぎようとしている今日、歴史の波に飲まれて、従容(しょうよう)として祖国の国難に殉じた七十三士の御霊をお慰めし、秘められた浦戸湾の哀史をひもとき、彼らの士魂があすの郷土発展の縁(よすが)となることを願い、この慰霊祭を斎行します。

祭儀 神事 斎主 仁井田神社宮司 吉野 慶
      祭員 若宮八幡宮禰宜 大久保 千鋭
      舞人 若宮八幡宮権禰宜 弘田 美穂子
      伶人 高知県護国神社権禰宜 大岡宜徳
   仏事 導師 浄土真宗本願寺派 無量寿山
           興隆寺住職 藤原 亨
         浄土真宗本願寺派
           円龍寺住職 大川 淳徳



また、慰霊祭の御霊慰めの舞とご詠歌が奉納されました。
 「偽りの 渚に果てし 秦士(ますらを)の 魂よ安かれと 祈る今日かな」

163.jpg

受付では、長宗我部ファンクラブにて、長宗我部への関心を深めていただこうと
5月に公演される「誰ガタメノ剣」(シアターキューブリック)の前売り券や
長宗我部元親のクレイアニメを販売させていただいておりました。
168.jpg169.jpg170.jpg

172.jpg

長宗我部七十三士の御霊安かなれとご祈念いたします。
posted by makkun at 11:53| 高知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2度のモニターツアーが開催されました 3月6日と10日!

3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震による犠牲者の方々のご冥福をお祈りすると共に、
被害を受けられた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。


本格的な武田勝頼土佐の会の仁淀川流域エリア観光化活動を開始するにあたり
フジトラベル主催のツアーの開催が決定しております。

 それに先立ちましてモニターツアーが開催されました。
098.jpg106.jpg105.jpg

2回開催されたうち、私は仕事の都合で1回目(初回)のみ参加致しました。

2回とも西森さんのブログで詳細に紹介されておりますので、ご覧ください。
西森さんのブログ【1回目】 【2回目


 愛媛県から多数のご参加を賜り誠にありがとうございます!ぴかぴか(新しい)


それでは、私の撮影した写真も交えて3月6日(日)の
第1回目モニターツアーをふりかえりましょうかわいい

 

天気はあいにくの雨雨でございましたが、会長のガイド説明はいつになく分かりやすいものになっておりました。

午後1時半ごろ
 フジトラベルのバスが仁淀川町大崎の集落センター前に到着し、
武田勝頼伝説ツアーのはじまりですわーい(嬉しい顔)
108.jpg107.jpg

 そのころ、勝頼特設ショップでは、お姉さんがたにより
オリジナル商品の準備が整えられておりました。るんるん
095.jpg099.jpg100.jpg
102.jpg121.jpg123.jpg


街あるきツアーです。
ツアーの一行はまずは勝頼夫婦の眠る墓前の鳴玉神社へ参拝
111.jpg115.jpg113.jpg

 この大崎の武田勝頼史跡コースは歩いてまわるにはちょうどの範囲です。
 (他の史跡は本当に広い範囲に分布しております)
ですので、他の史跡も満喫したい方のために、何らかの形(プラカードやプロジェクター)で紹介した方が良いかもしれませんね。

 
武田信勝、信房の墓へ
117.jpg119.jpg118.jpg
吾川中学校のグランドの南側にある小森には信勝と信房の墓があります。
狭い場所なので一列に並んで参拝し、そのまま中学校側へと階段を下り、中学校グラウンド外側をぐるっと一周して、勝頼ショップへと足を運んでいただきました。
 大崎八幡宮まで行けたら良いのですが、雨で長く続く階段は少し滑って危なかったりします。
ですが、歩いて行ける距離なのでぜひツアーでは今後取り入れていきたい場所です。

★勝頼ショップ!
勝頼くんの映えるオリジナルテントに沢山人だかりができております。
128.jpg130.jpg133.jpg
134.jpg138.jpg

今回特別に作っていただいたお菓子なども本当によく買っていただけました。

売店は本当に大忙しでしたね!ありがとうございました!
140.jpg142.jpg144.jpg
147.jpg

ツアーにご参加くださった皆様本当にありがとうございます!
モニターツアーでいろいろとお勉強させていただき、次のステップアップに結び付きました。
本当に感謝しておりますexclamation


また、2回とも西森さんのブログで詳細に紹介されておりますので、ご覧ください。
西森さんのブログ【1回目】 【2回目ぴかぴか(新しい)




 さて、当日は勝頼のモニターツアーが終わったあとに、
高知市種崎浦戸湾にて長宗我部家臣七十三士の慰霊祭が午後4時30分から行われましたので
次のブログでご紹介します。車(RV)
posted by makkun at 11:11| 高知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

ご無事であることをお祈りいたします

東北関東の大地震におきまして、お亡くなりになられた方々に哀悼の意を捧げるとともに、被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

東日本を中心に、今もなお被害が拡大し、実際に被害に遭われた方、あるいはご家族やご友人が
渦中にある方等、様々に傷つかれていることと思います。

遠い地からで、何もお力になれない身ですが、、
心よりお見舞い申し上げ、一刻も早く事態が改善されることをお祈り申し上げます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼地震情報について

googleが東北地方太平洋沖地震に関する災害情報をまとめたページ
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html

携帯電話などの端末でご覧いただけるNHKの地震・大津波警報
http://www3.nhk.or.jp/ktokusetsu/jishin0311/

災害用伝言サービスで安否情報の確認できるかもしれません。

下記、災害用伝言サービスです。
各携帯会社のサービスです。

「iモード災害用伝言板サービス」
http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi
↑パソコン用
AU 災害伝言板 URL
http://dengon.ezweb.ne.jp/
ソフトバンク 災害伝言板 URL
http://dengon.softbank.ne.jp/J
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



パソコンを再び環境を整え直しましたので、これから新たに記事を書き続けて行きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。






posted by makkun at 17:02| 高知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

武田発祥の地「韮崎市」の皆様の仁淀川町訪問、勝頼土佐の史跡探訪されました!



韮崎から来られました皆さま、本当にありがとうございました!

会の発足から武田の里フォーラムより、このように早く交流が実現いたしました事を誠に嬉しく思いますわーい(嬉しい顔)
 韮崎市から市議の方々が5名、武田旧温会会長様、武田勝頼新府中にらさきの会会長様という素晴らしい面々の方々にご訪問頂きました事を心より感謝申し上げます!ありがとうございました!晴れ

 これからも両県での交流が活発になることを期待しております
01a.jpg01f2.jpg01f3.jpg

私は仕事の都合で行けませんでしたが、訪問の記事は西森さん、会長も書いておりますので、
まずはそちらのリンクをご案内いたします。

ブログ 【前篇】 【後篇

<会長のブログはこちら>るんるん



01f4.jpg01f.jpg01h.jpg

晴れ交流および史跡めぐりは以下の要領で行われました。

平成23年2月7日(月曜日)
午後4:30〜 仁淀川町表敬訪問 仁淀川町役場
     ↓
午後5:30〜 交流会  ゆの森2階レストラン
 プロジェクターを使っての会の活動報告や、それぞれの思いを話して交流を行いました。
     ↓
午後6:30〜 懇親会 ゆの森2階レストラン
01u.jpg01s.jpg01r.jpg
仁淀川町の食材を使った料理レストランや玄蕃おどりの披露! 
 おっと!勝頼くんケーキ!おいしそう!ぴかぴか(新しい)

翌日
2月8日(火曜日)
午前8:30〜 「地域外史跡」120分コース
  ゆの森出発→ 栂の森(つがのもり)→
01v.jpg01v3.jpg01x.jpg
 岩に武田菱の筋が入った檮姫の墓などをご覧になられました。
  
午前9:30〜 寺村観音堂 勝頼3男正晴の墓
01z2.jpg01z1.jpg01z6.jpg
 勝頼が武田家の菩提寺として天正13年に建立し、建て替える前の当時は大きなお寺であった事が長宗我部地検帳から分かります。記念写真!カメラ
     ↓
午前10:00〜 ひょうたん桜(仁淀川町桜 武田神社)
 武田勝頼が高遠から持ってきた桜の種が現在のひょうたん桜となったと云われております。
 宇宙に行った宇宙桜としても最近では話題です。もとより風景がよく桜の美しさも相まって多くの観光客が桜を訪れます。

 休憩

午前10:30〜 「大崎の陣まいさるくガイド」120分コースぴかぴか(新しい)
 鳴玉神社(めいおうじんじゃ) 武田勝頼と夫人の墓所
01z7.jpg01z9.jpg
 系図では武田勝頼は夫人と共にこの場所に眠っており、ご子孫の方々の墓参りもよく行われております。昔から神聖な場所です。
    ↓
午前11:00〜 武田信勝の墓
 勝頼の嫡男であり、武田氏の跡継ぎである信勝の墓所へ
    ↓
午前11:20〜 大崎八幡宮(武田王12尊等の正体があります)
 天正14年6月15日に建立されました。
 各地の玄蕃まつりは、この6月15日を縁日に行われております。
02b2.jpg


 そして昼食では、「田舎のコンビニおしおか」作の
「かつより君弁当」を食べましたるんるん
 海苔で武田割菱を表現しており、とても楽しいものでした。また後日写真をアップしますね!

  
 このような素晴らしい交流を持てて、当会の会員一同感謝感激いたしてまります!

私たちは土佐の勝頼の伝承を会一丸で守り、また武田ゆかりの里との交流をも行っていければ誠に幸いに存じております。

 韮崎からお越しいただいた皆様、そしてお集まり頂いた皆様!まことにありがとうございました!


交流会にご参加頂いた方々

韮崎市議団
 清水一様
 野口紘明様
 藤嶋英毅様
 横森宏尹様
 西野賢一様

武田の里・旧温会会長
 山本友雄様

武田勝頼・新府中にらさきの会会長
 高木智朗様

■仁淀川町関係者
仁淀川町長

 大石弘秋様

仁淀川副町長
 片岡廣秋様

仁淀川町教育長
 大野敏光様

仁淀川町企画課長
 竹本雅浩様

仁淀川町議会議員・仁淀川町商工会会長
 藤原陽三様

仁淀川町議会議員
 西森常晴様

武田勝頼土佐の会会長
 岡林照壽様

武田勝頼土佐の会副会長
 岡林智様

武田勝頼土佐の会活動委員
 藤原勝彦様
 押岡徳子様
 
ゆの森支配人
 井上秀彦様

WEB管理 岡林誠

posted by makkun at 13:54| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月28日

天界集落へのいざない【3】 寺村へ 岩戸と黒森山へも


 さて、それでは下から見ても美しく、日本にもこんな場所があるのかというような感想をいただく、寺村(てらむら)へ向かいましょうかexclamation

 越知町から横畠までの所要時間は約1時間ほどでした。それでもこんなに満喫し、さらに寺村まで横畠から10分ぐらいでいける場所です。

 
 横倉トンネルを抜けた瞬間から、今までとは違った風景にはっとするはずですぴかぴか(新しい)
 CIMG1393.jpg
 山にへばり付くように集落が存在し、珍しい風景を作っております。

寺村への道中で少し車をとめて撮影
CIMG1394.jpg

地元の者が言うのもなんですが、本当に美しい場所だと思います。
写真はぜひ拡大して見て下さいね!
CIMG1397.jpgCIMG1399.jpgCIMG1400.jpg

ここは下から見るより、集落に入って歩くのがベストです。
※車を停めて撮影しております

寺村橋を渡り、それからトンネルの手前を左に入ります。
CIMG1401.jpgCIMG1404.jpgCIMG1405.jpg

 
昔の寺村橋の写真!今は取り壊されて、その隣に新しく今の橋が掛けられました。
 teramura09-1.jpgimagesCAGUSIZ1.jpg

 
現在の寺村橋
 
teramura10-1.jpg


 
ぴかぴか(新しい)航空写真はこんな感じです。仁淀川の美しく蛇行する場所です。
image.gif



それでは、寺村の道を上って行きます。道はとても急で狭いのですが、車の待避所のような場所も多くありますので、マナーを守って安全に楽しんでください。
CIMG1407.jpgCIMG1408.jpg
CIMG1409.jpg

CIMG1415.jpgCIMG1418.jpgCIMG1419.jpg

すぐに武田勝頼が菩提寺とした、観音堂(流光山成福寺)がすぐに見えてきます。
CIMG1414.jpgCIMG1416.jpgCIMG1417.jpg


観音堂(流光山成福寺)に関する別記事はこちら
http://katsuyori.seesaa.net/article/119320521.html(クリック!)
CIMG1413.jpg
http://katsuyori.seesaa.net/article/119746336.html(クリック!)

観音堂に関する情報はこちらにもあります
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/shiseki.html

かわいいこのお寺には、勝頼が諏訪から携えて来たといわれる仏像などの宝物が奉納されております。
昔、寺の建て替えの際に佐川町にある青源寺に宝物を移したと古文書には書かれております。
その青源寺なのですが、なんと武田家との関わりの浅からぬ寺なのです。
http://www14.ocn.ne.jp/~kurogan/subpage/seigenJi/seigenJi.html

武田勝頼土佐の会が設置した看板には寺の由来なども詳しく書かれております。
CIMG1410.jpgCIMG1412.jpgCIMG1421.jpg

この場所は武田勝頼が母君と過ごした長野県の観音院(龍光山正福寺)とのゆかりのある寺としても研究されております。
さらに、土佐の武田家系図には勝頼の次男武田正晴の墓所も寺の裏にひっそりと在ります。CIMG1422.jpg

 観音院の中島住職様が、諏訪湖の風景と本当によく似ていると仰りました仁淀川の写真はこちらです。
CIMG1423.jpgCIMG1424.jpg

 これは消防の鐘です
  CIMG1420.jpg

 さて、歴史にふれつつ、上を目指してみましょう!
まずは、休校になっている寺村小学校のグラウンドへ
 CIMG1425.jpg
CIMG1426.jpgCIMG1427.jpg

 道中の風景も楽しんで下さい
CIMG1428.jpgCIMG1429.jpgCIMG1430.jpg

 寺村小学校のグラウンドに併設された集会所が見えてきました。
CIMG1431.jpg
 まだ新しい集会所で、設備も整っております。

グラウンドに到着
CIMG1432.jpg CIMG1433.jpg

グラウンド脇から下の集落を見たところ
CIMG1434.jpgCIMG1435.jpg

 ぴかぴか(新しい)さて、仁淀川の見え方が最高の場所に足を運んでみましょう!ぴかぴか(新しい)

 仁淀川までの高さや、向かいの山までの距離が絶妙!だと自分が思っている場所なんですね。

 サプライズがありました!なんか屋根みたいなものが見えるなーと思って近づいてみると
CIMG1436.jpgCIMG1439.jpgCIMG1440.jpg

なにやらカンカンと叩く音がしますー(長音記号1)

なんと公園を作っておるではありませんかわーい(嬉しい顔)
手すりを作る準備をしていたのですねるんるん

CIMG1441.jpgCIMG1437.jpg

 ステキな公園です!公園が下にもあったのを拡大している最中だそうです。
CIMG1438.jpgCIMG1442.jpgCIMG1443.jpg

テーブルと椅子はピンク色で雰囲気に合っています
CIMG1444.jpgCIMG1445.jpg
CIMG1448.jpgCIMG1449.jpgCIMG1449.jpgCIMG1452.jpgCIMG1454.jpgCIMG1455.jpg

春になると花も綺麗に咲くとの事です。

建物「ふるさと」の中に案内してくれました。「ふるさと」の看板も和んだ気持ちになるデザインですね。CIMG1456.jpg

 中に入ってさらに驚いたexclamation×2囲炉裏があり、誰が来てもくつろげるように座るところが多く、飾り付けもされていて良い雰囲気ですぴかぴか(新しい)
CIMG1459.jpgCIMG1460.jpgCIMG1465.jpgCIMG1465.jpgCIMG1466.jpgCIMG1458.jpg

 さらに窓からの風景がサプライズ!絶景ポイントですね
CIMG1462.jpgCIMG1463.jpgCIMG1464.jpg

 寺村は春にはこんな風景も見られます(飾られていた写真を撮影)
CIMG1461.jpg

CIMG1467.jpgCIMG1468.jpg
黄色い門にはフクロウの飾りが2つ。
 不苦労(ふくろう)になれる門かもしれませんよ。わーい(嬉しい顔)

案内して頂きましてありがとうございました!

それではグラウンド上の寺村小学校を外からちょっと見てみます。
CIMG1469.jpgCIMG1473.jpgCIMG1477.jpg

  寺村小学校は2004(平成16)年3月31日に休校となりました。ですが、ここからの風景の美しさは本当に素晴らしいので、小学校が宿泊施設として使われたらいいなーと思います。
 ここまでの道は勾配が急で狭いので、慣れていないと少し不安なのですが、私たちや地元の方々はそれほど不便を感じておりません。
 ここで一泊するという体験は素晴らしいものになるでしょうね!仁淀川の見え方が最高ですわーい(嬉しい顔)
 寺村リゾート建設!
実現度    ★★★
ロケーション ★★★★★
アクセス   ★★★
 私ごとですが、こんな感じでしょうか?

学校前の風景
CIMG1474.jpgCIMG1476.jpgCIMG1471.jpg

まだまだ寺村編の更新は続きます
posted by makkun at 16:13| 高知 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月27日

天界集落へのいざない【2】旅のはじまり コース 越知町横畠へ

 山の尾根から栄えた集落というのは眺めもよく、
また史跡なども多く点在し、冒険心をくすぐってくれて楽しみに満ちております。
 
この楽しみを多くの方と共有しましょうexclamation



普段は私たちは国道33号線を通るのですが、今回行くコースは天界集落をイメージしておるため、山の尾根に向かって山道を進み、景観を楽しみ、また山道でのアクセスが困難な場合には国道33号線に降りてきて、また景観の美しい山道を目指します。

難点をいうと、トイレや飲食できる場所はあらかじめ知っておく必要があり、山道のため路面の状態は国道ほど安定しておりません。  
 日本のマチュピチュのような場所を目指すわけですから、旅のジャンルでいえば「そこそこアドベンチャー」と分類されそうですね。  
ですが子供も連れていけますので、アクセスはとくに問題もありません。トイレや飲食できる場所もご紹介します


天界集落

「中央構造線」という大断層に沿って関東地方から九州地方まで点在する山の頂上辺りに存在する集落は天界集落と呼ばれている。
 地質的に見ても多くの変化に富み、この中央構造線は天界集落の生まれた背景と密接な関係がある。
仁淀川中流域にはいくつもの天界集落が存在する。遠い昔から、山が急峻なため、山の尾根を通ることが移動に適しており、また焼畑農業や、湧水なども多かったため天界を中心にした生活の基盤が整っていた。

ぜひ知ってほしい仁淀川中流域の魅力です。

さて、そろそろ越知町の横畠から行ってみましょう! バス

車(セダン)越知町は高知市から国道33号線を松山方面に
約50分、いのインターチェンジから40分ぐらいの場所です。

越知の街並み
コンビニ前です。ここから先は商店が激減します。サンプラザや、コンビニはここでお弁当を買ったり、 必要だと思うものを買いそろえることをお勧めします
CIMG1290.jpg



越知駅

駅にはきれいなトイレや、地元の食材、平家や武田グッズがたくさん!
越知観光協会もここに設置されておりますので、イベント情報などが豊富!
駅前の「居食屋かどた」は人気の食事処です。
CIMG1291.jpg



 国道33号線(車助手席から撮影)国道33号線を松山方面へ向かって行きます。
CIMG1292.jpgCIMG1293.jpg

越知橋

仁淀川をまたぎます。
CIMG1294.jpg


ドライブイン片岡
 
食事をとることが出来ます。平家会ではいつもお世話になっております。
越知の街中から車で1分程度です。
CIMG1295.jpg

右には「安徳帝の里」と越知平家会の大きなカンバンが現れます

CIMG1299.jpg

柳瀬の方面に右折して橋を渡ります(また仁淀川をまたぎます)

CIMG1298.jpgCIMG1301.jpg

横畠に上っていく道が左側になります。(先ほどの町内から約7分程度)

CIMG1302.jpgCIMG1304.jpg

上り口には案内板があります。

CIMG1305.jpg


「虹色の里横畠」
「黒森山登山口」
「松山街道」

の3つの案内があります。どれも目的地として楽しめるものばかり。
 集落を目指し、誰でも車で楽しめる手軽さを優先して「虹色の里 横畠」へ向かいます。

しばらく上って行くと分岐点に差し掛かります。
【左】栂ノ森(つがのもり) 寄り道して、武田勝頼の娘 梼姫(ゆすひめ)の墓へ行きます

【右】薬師堂(やくしどう) 横畠に向かう方向です。


(寄り道 中!)
まずは、左の栂ノ森へ向かいます。こちらは寄り道ですが、武田信玄の4男である武田勝頼の娘と一族の墓に向かいます。この寄り道は往復30分は見ておいてください。

上って行く道中、越知町の町と仁淀川が見られます。良い眺めです。ぴかぴか(新しい)
CIMG1309.jpgCIMG1310.jpg

栂ノ森の集落です。
左から集会所、風景となります。
CIMG1319.jpgCIMG1320.jpgCIMG1322.jpg

どんどん上って行きますと、武田勝頼土佐の会が設置したポップな看板が見えて来ました。
CIMG1311.jpgCIMG1312.jpg

檮姫(ゆすひめ)の墓のことが書かれてあります
由来が書かれてありますので、じっくりと見てから史跡へ向かうのも良いかと思います。

武田の割菱のように石筋の入った墓です。系図からこの位置が指示されており、さらにはここには末裔にあたる区長さんが墓守りをされております。
この檮姫(ゆすひめ)と左馬助のロマンスムードは、甲斐の国で見合った2人が戦乱の中土佐で結ばれる物語です。

こちらのページに紹介されております。
http://katsuyori.seesaa.net/article/151912500.html


CIMG1317.jpgCIMG1318.jpg
檮姫の墓と考えられている墓石には、武田の割菱のように見える筋がくっきりと見られますexclamation


さらにこの場所は眺めの良い場所なのですが、現在では竹林が風景を遮って見られなくなっております。ですが、この上に遍路の泊まった岩があり、その上に行くと最高の眺めなのです!
 ほんとうに近いのですが、、、
道が険しいため、足腰に自信のない方はお気をつけくださいあせあせ(飛び散る汗)
 
0DSC09706.jpg0DSC09711.jpg06study.jpg
登るとこんな美しい眺めです。越知町がよく見えますわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

さて、そろそろ、第1目的地の「横畠」に向かいましょう!バスグッド(上向き矢印)

分岐点まで戻ってきました。
CIMG1323.jpg
今度はちゃんと「薬師堂」の方面へと向かいます。右へ→

(寄り道 終!)

CIMG1324.jpg
道を登って行くと、横畠の集落の一部や小学校が見えて来ました。

先ほどの分岐から8分で横畠到着です。
越知町の街中から15分程度で到着する場所です
近いでしょわーい(嬉しい顔)


虹色の里 横畠





「虹色の里横畠」のホームページ猫

横畠の略歴史
 山本氏がこの地域を支配し舘主だったと云われています、又柴尾も山本氏の支配する所かと思われます、現在も横畠には山本姓が多い。
 左上に黒森山を望む(写真)
 中央上の峠が「道分かれ」と言って全ての道が合流していて街道の要衝でありました。
 松山街道:是より奥地(大崎池川・伊予)への通用門ともなっていてジョン万次郎や岩崎弥太郎も帰国の時この道を通る。脱藩の志士が通ったとも言われており、司馬遼太郎の坂本龍馬では、脱藩の際になんとこの道を通ったと書かれてあります。様々な説がありますがもっと宣伝した方がよさそうですね

甲斐の国の武田信豊とその一族は助かり、信豊の嫡子は、勝頼の居る土佐で勝頼達と再会し、横畠の里で片岡氏の家臣となり、横畠左馬介貞秀と名乗り、越知町横畑八頭地区、やがしら「館城」に住み、片岡氏が滅びた後も勢力を保ち続けておりました。そのように考えられております。

この横畠左馬介貞秀(武田信豊の嫡子)と、檮姫(勝頼の娘)は甲斐より、海と山を越えた遠い土佐の地で(奇跡的にも)目出度く結ばれ、仲良く暮らしたものと考えられます。
 ただ檮姫は病弱で、文禄(1593年)葵巳の2月8日に24歳で亡くなっております。
 結婚してから十年足らずの間に亡くなったのであろうと思われます。

あの風林火山で有名な山本勘助もここに来たといわれておるのですよ!


■横畠の集落への入り口

まず目に入るのは、大きな案内板!立派ですし、分かりやすく案内されております。
CIMG1335.jpgCIMG1334.jpg

CIMG1327.jpgCIMG1326.jpgCIMG1336.jpg
左手には農協、簡易郵便局、小学校、薬師堂バス待合所がありますCIMG1333.jpg

右手には売店(ジュース・たばこ・日用品)と横畠建設があります
CIMG1328.jpg

分岐があり 左は国道33号線へ降りる道です。こちらのR33へ降りる道を選んでください。
ちなみに右手に行くと、
「黒森山登山口」
「松山街道」
「日ノ浦 あじさい街道」 (あじさい街道、ほんとうにスゴイキレイです)
どれも素晴らしい場所へと続きます、が、今回はこちらへは行きません。

R33号線の方へ降りながら、景観を楽しみます。

まあ、でも寄り道もしてみましょう!右の道へ行くとどんなになっているのでしょう
(寄り道 中!)
CIMG1337.jpgCIMG1338.jpg
左手には雪をかぶった明神山が見えます。
道を進むと美しい棚田。

 おや、看板が見えてきました。
CIMG1339.jpgCIMG1340.jpgCIMG1341.jpg
旧松山街道
ジョン万次郎帰国道
志士脱藩の道
黒森山登山口


見ると行きたくなるのですが、ここは寄り道を進んでおる最中ですので、そのまま「稲村(いなむら)」まで行ってみましょう!

稲村が木々の間から見えてきました。
CIMG1342.jpgCIMG1344.jpg

稲村到着!横畠から7分程度かかったか、かからなかったか

 良いところです!この素朴さが日本の山里の最高の魅力でもあります。
外国人が見たら喜びますよ!
CIMG1345.jpgCIMG1347.jpgCIMG1348.jpgCIMG1349.jpgCIMG1350.jpg

晴れ稲村から見た土佐の山々
CIMG1351.jpgCIMG1352.jpg

それでは名残惜しいですが、稲村を去ります、また来るねー!
CIMG1354.jpg
ちなみに稲村からも黒森山への登山口があります。CIMG1356.jpg
(寄り道 終!)


 ■戻ってきました「横畠」!わーい(嬉しい顔)
CIMG1358.jpgCIMG1359.jpg
寄り道が過ぎるのが私のいけないところですが、稲村に行けて良かったです。往復たったの20分程度でしたからわーい(嬉しい顔)

 横畠から仁淀川を見る!
CIMG1361.jpg
 ふだんは、仁淀川沿いの国道33号線から見上げる場所、そこから見下ろす風景は大変良いものです!

 高所からの風景を楽しみましょう!
歩くのが一番です、集落はだいたい一か所に集まったところを散策するのが良いです。
道もきれいですから、せっかくですから歩きましょうね!
CIMG1362.jpgCIMG1363.jpgCIMG1364.jpgCIMG1366.jpg

歩いていると茅葺(かやぶき)の家とカカシが見えてきましたぴかぴか(新しい)
可愛らしいので、即シャッターをおしましたカメラ
CIMG1367.jpgCIMG1368.jpgCIMG1369.jpgCIMG1370.jpg
 隣のお家の玄関にもカカシがあったので、このお家の人が作ったのかなるんるん

ふるさと公園に行ってみましょう!わーい(嬉しい顔)
CIMG1372.jpgCIMG1377.jpgCIMG1374.jpg
休憩所なんかもあり、ここからは、横畠の集落を見る事もできます。
CIMG1375.jpgCIMG1376.jpg
遠くには中津明神山が見えて、手前に見えるのは寺村、加枝の集落です。
 CIMG1379.jpg
キジが何羽か飼育されておりました。
CIMG1380.jpg
公園からの帰り道
CIMG1381.jpgCIMG1382.jpg

ゆっくりと歩いても、30分ぐらいでここら辺りの風景は堪能できると思いました。

さて、車に乗ってそろそろ次ぎの天界集落(寺村)へ向かいます。


国道33号線へ
向かいの山には野老山の集落が見えます。
CIMG1384.jpg
野老山まで行くと、目の前にはこの横畠集落がよく見えると思うので今度機会を作って行こうと思っております。
CIMG1386.jpg

下り道には仁淀川の蛇行した美しい風景が見られます。
niyodogawadakou.jpg


 道はこんな感じに狭いのですが、車の待避所がけっこうありますので、前から車が来てもさほど困りません。ただ慣れていない人はかなり注意して進む必要はあると思います。
CIMG1392.jpg

次ぎの目的地は寺村です。 岩戸や黒森山にも寄り道します。


 ここで、お知らせです(天界集落だより)
2月11日(金曜日)は秋葉祭があります。 土佐の三大祭である秋葉祭の華麗な練りをぜひ見に来て下さい。

秋葉祭に関する情報はこちらかわいい

posted by makkun at 17:30| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

瀧嵐純米酒「香宗我部」〜甲斐源氏武田の嫡流香宗我部&14日の長宗我部語る会

ついに発売されました瀧嵐純米酒「香宗我部」300ml発売!
kosogabe.jpg IMG_0356.jpg IMG_0359.jpg


 作者の香宗我部さんが1月14日の長宗我部を語る会に持って来てくれましたわーい(嬉しい顔)
 IMG_0349.jpg

武田菱と甲冑がいいですねーるんるん
 香宗我部さんは高知在住で長宗我部ファンクラブのメンバーです。現在でも香宗我部姓の方が土佐にいることに感動した事があります。ぴかぴか(新しい)


 ラベルに書かれてある文章がまた素敵ですexclamation×2
「甲斐源氏武田氏嫡流の流れをくむ香宗我部氏は、鎌倉時代香美郡に地頭として入府。爾来400年 名族として土佐の中原で覇をとなえた。弘治4(1558)年、長宗我部元親の弟、親秦(ちかやす)を養子に迎え、その後、元親の四国制覇の一翼を担った。」
上手く簡潔に香宗我部氏が表現されております。晴れ

 それと「甲斐武田氏嫡流!」が土佐に来ていた事。知らなかった方も多いかな
。ぜひ知っておいて下さいね!とてもスゴイ事だと私は思いますわーい(嬉しい顔)

 つまり宗家が土佐に来ているのです。exclamation×2
まず嫡流とは、嫡男=長男で、ずっと長男→長男→長男と長男が継いで来ておるという事です。グッド(上向き矢印)


甲斐源氏武田氏の(宗家)嫡男家系図は簡単に説明すると、こうなります。
源清光(長男) → 武田信義(長男) → 一条忠頼(長男) → 一条秋通(長男)(土佐に来たぴかぴか(新しい)


 武田氏の嫡流は土佐にあり! 
土佐に地頭として入府した中原秋家が甲斐源氏の嫡流である一条秋通を後見し地頭職を譲った。
香宗我部氏の家紋は割菱を使っておりました。また中原氏は武田氏に復姓しております。
     割菱.jpg
 
ひらめき甲斐では一条忠頼の弟であります甘利が宗家であると考えれます。

 甲斐の国にいた武田氏も土佐に嫡流が存在していたことは当然意識しておった事と考えます。
土佐では、武田勝頼は香宗我部氏を頼って土佐に来たという事が系図に記され、語り継がれておる事につながって来ます。

 こんなロマンを語りながら、一献傾けたいですねわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)

 清酒のかわいい通販はこちらのサイトから出来ます
http://yoshimatu.ocnk.net/product/419

 
 14日に行われた「長宗我部を語る会」では、馬楽さんの講談、「信長・可之助会談」や、フェスの打ち合わせなどが行われました。わーい(嬉しい顔)
IMG_0329.jpg  IMG_0331.jpg

今年2011年は、丸1年が長宗我部フェス!であります。
 歴民館の猪野副館長、5月に高知公演「誰ガタメノ剣」シアターキューブリックの代表の緑川さんと俳優の漢那さん、コスプレイヤーで有名な鷹市ゲンさんと氷龍みずきさんが参加、さらに高知新聞の橋本記者と香曽我部さんらが会に出席されて、盛大に会が開催できました!
 またお料理もとても美味しかったです。レストラン 新年会の様な雰囲気が◎ぴかぴか(新しい)
   IMG_0332.jpg
posted by makkun at 11:15| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

天界集落へのいざない【1】 あまり知られていない土佐山里の大きな魅力

このブログのイメージとしている、中津明神山の写真

IMG_0072.jpgIMG_0073.jpgIMG_0092.jpg

土佐といえば「太平洋」 山というイメージは少し弱い気がします。

 しかしぴかぴか(新しい)ここ土佐の仁淀川町には他の地域には見られないような
 ここにしかない、ここでしか見られない独特の文化や稀有の美しい天界の景観などがあります。

 このあまり知られていない美しい魅力を多くの人たちに楽しんでもらえるように紹介したいと思います。
 私のオススメルートはズバリ、尾根に近い山道をドライブするルートです 

 後ほどご紹介しましょうexclamation×2
画像 300.jpgF1000484.jpgF1000315.jpg


天界集落

「中央構造線」という大断層に沿って関東地方から九州地方まで点在する山の頂上辺りに存在する集落は天界集落と呼ばれている。
地質的に見ても多くの変化に富み、この中央構造線は天界集落の生まれた背景と密接な関係がある。
仁淀川町にはいくつもの天界集落が存在する。武田勝頼が拓いた集落もいくつか存在する。
CIMG5466.JPGDSC0295121.jpgCIMG5158.JPG


  「天界集落の煌き」 
農林水産省 中国四国農政局 高瀬農地保全事業所の発行する、この地域を読むのに素晴らしい冊子
「天界集落」という言葉はここからお借りいたしました。
   IMG.jpg IMG_0001.jpg
冊子はぜひ読んでみて下さい。仁淀川町役場などに問い合わせると良いかと思います。



 この仁淀川町。
周囲を高い山々が連なり、深い山と谷の続く風景は
国道33号線から眺める限りでは、なんでこんな山奥に住む人々がいたんだろう?
と疑問を抱きたくもなります。

夜のドライブではどう見ても星にしか見えないような高い場所にある家の光 本当によく家の光が星の光と間違えられます夜


 ひょうたん桜(天然記念物)も山の尾根に近い場所に有り、
「昔の人はこんな高い場所に植えることよく考えたなー」と耳にした事もあります。
0DSC01176.jpg0DSC01133.jpg


 眼鏡なぜ山の尾根に近い場所に集落を作り、長い間その場所で暮らしてこれたのか?

ひらめきその答えは、大昔から山の尾根(一番高いところ)を通って行くのが最も交通の便が良かったからです。どこへ行くのも最短ルートなのです。

特にこのあたりの山々は山谷が落差があり険しく、勾配のなだらかな山がほぼ存在しませんあせあせ(飛び散る汗)

地形的には太平洋へ四国が引っ張られて行く力と、地面の押し返す力によって
大きな「シワ」が出来て、それがこの「シワ」のような山々を形成したとも言われております。
IMG_0126.jpgIMG_0123 2.jpg

 ですからどこかへ移動するときに
まっすぐ移動しようと思えば山を下りて、谷へ向かい、川を越えて、また山を登ってふらふらの繰り返しになってしまいます。あせあせ(飛び散る汗)
 もちろん、そんなしんどくて面倒な事は誰も行わなかったと思います。わーい(嬉しい顔)
 ほとんどの人が山の尾根(一番高いところ)を通って、尾根づたいに移動するのが最適な方法だったわけです。

 さらには湧水(わきみず)や焼畑(やきはた)により豊かな暮らしが行われており、飢饉(ききん)の時代さえ難なく生き延びて来れた飲食に困らないレストラン豊かな場所だったのですリゾート


 そのため、この仁淀川町の集落は山の尾根(天界)から発展を遂げ、南米の世界遺産であるマチュピチュをも凌ぐ天界集落を形成して来ました晴れ
 武田勝頼たちもこの、豊かな隠された山里(秘境)に招かれて来る事となったのかと思いますぴかぴか(新しい)また大崎川井という里は山と平地の両方の恩恵有料が受けらる素晴らしい場所でした。

戦国時代にも、「四国なんて場所な〜んも無いよ!」と宝石の様な素晴らしい場所を攻めて来られないようにウソの情報を流したに違いありません。わーい(嬉しい顔)
知るものぞ知る素晴らしい場所だったのですねいい気分(温泉)ぴかぴか(新しい)
 

この尾根のルートこそ、仁淀川町の隠された観光ルートなのです
ぴかぴか(新しい)

道の悪さや、分からない場所へ入って行く不安のため観光ルートにならなかっただけで、
そこには、山々を見渡す美しい風景、昔ながらの集落風景、棚田や様々な史跡、桜、伝統文化などが息づいており、日本の原風景であり後世に残して行きたい風景です
 もちろん昔の人々はもっと険しい道を通ったのですが、現在では車の通れる道が整っており、マイクロバスぐらいまでなら、それほど難なく入って行けまするんるん

そういう場所に行って、実際に車をとめて歩いてみたりくつ、食事をしたり、泊ったりするともっと良い体験ができるはずです。この体験を仁淀川町のひとだけで独占してはもったいないなーるんるん

山にへばりつくように建っている集落の家々
a165.jpga157.jpg
国道から見た景色も美しいのですが、上から見た景色は筆舌に尽くしがたい美しさがありますぴかぴか(新しい)


 そして更に、当会「武田勝頼土佐の会」が取り組む背景には、
「ひょうたん桜」「檮姫」「観音堂」「武田神社」「樫山神社」、安徳天皇に関するルート
などなど武田氏や平家の落人に関する史跡や伝承が天界の道には沢山存在します。
 また、ジョン万次郎や岩崎弥太郎が通った松山街道なども。
本当に盛りだくさんのストーリーを持つ天界ルート! 
 そしてこの美しい景色と、美味しい食事、スイーツまでセットにしたツアーの開催を計画!
春の陣!にも絡めて行きます!行きたいと思いますわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

私の友人もこのような集落に住んでおり、ちょっと町へ出かけるときなんか「下界へ行ってこようかね」などと申すこともあります(笑

これからも天界集落への誘いとして、ずーっとご紹介いたしますグッド(上向き矢印)よろしく!手(パー)
posted by makkun at 20:03| 高知 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 天界集落へのいざない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

遥か天空の彼方より 〜 花伝説・宙へ!宇宙へ行った勝頼所縁のひょうたん桜


 現在、宇宙から帰還し、芽を出しております「ひょうたん桜

 花伝説プロジェクトのホームページはこちら

ph_nasa.jpg


 かわいい武田勝頼が高遠から持ってきたと伝えられる桜は天然記念物として高知県で美しい花を咲かせます。仁淀川町桜の山の尾根に近い高い場所(松山街道)に咲き、風景が美しい事でも知られております。

0a3.jpg0d.jpg0さくらー2.jpg

 この桜の種が「花伝説・宙へ!〜なつかしい日本のこころ」プロジェクトにより
 国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」に打ち上げ、帰還した種を播種、育成する過程において、様々な行事を展開しようと取り組まれております。

 新たな伝説が生まれることを願ってぴかぴか(新しい)

 当会でもこの桜の苗を武田氏ゆかりの里に植樹する方向で計画が進んでおります、まだ苗を多くの場所に配った後となりますが、花伝説プロジェクトは今後全国で大きな展開を見せ、その中で我々武田勝頼土佐の会でも花が紡ぐ新たな伝説を作るために活動しようと考えております。

 演劇仁淀川流域でもこの取り組みを活性化につなげようと、高知ファンクラブ様が力を入れて活動されております
 http://kochifc.net/2010/02/post-1403.html
 http://kochifc.net/2010/02/2-81.html

「宇宙にまで行った勝頼の思い」
 
 伝承では武田勝頼が土佐の大崎に来て、この場所を再興の場所にするぞと、
大山鎮めを行い、杖を立て、薬として持ってきた高遠桜の種を撒きました。

 ぴかぴか(新しい)【ひょうたん桜と武田勝頼の以前の記事はこちら】
【ひょうたん桜と武田勝頼の以前の記事2】 

それが大きく成長し樹齢4百数十年を誇る「大藪彼岸桜」となったのです。
 再興を願った思いは新たな伝説を作るために宇宙に行き、そして今、
地域同士をつなげる役目を果たします。ぴかぴか(新しい) 

 これから当会で力を入れて行く「天界集落への誘(いざな)い」にも欠かせない花です。わーい(嬉しい顔)
桜の季節はまだまだですがこの活動にもご注目下さいるんるん

かわいいhttp://www.hanadensetsu.com/journey/hyotan/index.html

ひらめき武田勝頼キャラクターが生まれた日が2009年10月2日
秋の陣2010開催日が10月2日

ひらめき大団円の花伝説サミットが行われたのが2009年12月5日
スイーツフェス2010開催日が12月5日

 しっかりと合わせられておるんですよるんるんるんるんわーい(嬉しい顔)
http://www.hanadensetsu.com/journey/2009/12/post-53.html


■ JAMSS-有人宇宙システム株式会社
 

posted by makkun at 12:01| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

明けましておめでとうございます!平成23年も宜しくお願い致します!武田勝頼土佐の会

kingashnnen2011.jpg


 謹賀新年ぴかぴか(新しい)

 先ほど大崎八幡宮の元日祭も滞りなく神聖に行われましたexclamation
 お祓いして気持ちも清々しくスタートですぴかぴか(新しい)

           mochi.gif

 謹んで新春のお慶びを申し上げます晴れ
 本年も倍旧のご愛顧の程宜しくお願い申し上げます

 平成23年 元旦
posted by makkun at 02:44| 高知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする