2010年04月25日

携帯サイト!preオープン!【武田勝頼土佐の会】



 ぴかぴか(新しい)以前から計画していた武田勝頼土佐の会の携帯サイトを作成しましたexclamationぴかぴか(新しい)phone to

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 内容は更新中や作成中の分も含めて携帯サイトの公開を致します

 
 位置情報勝頼や史跡の情報はもちろん、仁淀川町を楽しむ情報が満載されています!
(今後史跡の確認されている越知町、佐川町、津野町の情報も同じように掲載して行きまするんるん

 わーい(嬉しい顔)例えば、飲食店や、宿泊先、そして居酒屋やスナックなども我々の私観を通じて全て掲載中でございますexclamation

 電話帳より見やすく、仁淀川町を楽しむ事に特化されたリストで、緊急時の様々な連絡先、病院、ガソリンスタンド、等々

◆QRコードは携帯のカメラの機能よりご利用できます!

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 ぜひご活用下さいexclamation×2ぴかぴか(新しい)

 史跡の看板や各種パンフレットには携帯サイトへのQRコードを印刷しておりますので、そちらからご利用される方もおられるかと思います。
posted by makkun at 17:25| 高知 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

史跡ごと案内看板設置完了!目立ってます♪

ついに案内看板の設置が完了しました!ぴかぴか(新しい)わーい(嬉しい顔)

 フルカラーの看板がひと際 目を引いておりますぴかぴか(新しい)
 勝頼くんのキャラクターも引き立ってます!

補助を受けて事業が成立しました事を厚く御礼申し上げます!
誠にありがとうございました
exclamation×2


四月の上旬には、6か所に案内看板設置を終えております看板をよく見るとQRコードが!
 そう、携帯サイトを仁淀川町の皆様の協力の元に作っていますexclamation
明日ぐらいに公開するかもしれません。
勝頼の史跡はもちろん、周辺の観光情報にもさまざまな視点から重点を置いています。

大崎八幡宮
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入口付近に設置

鳴玉神社(武田勝頼と夫人墓前)
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武田信勝墓
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今日も行くと花が添えられておりました。

大崎半四郎墓(武田信玄の三男からの嫡男)
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この桜地区は、ひょうたん桜はもちろん、芝桜も美しいエリアなのですが、平成21年にイノシシの被害に合い、芝桜を整備し直しております、がしかし、人で不足で、以前の3分の1以下の規模になってしまうそうです。
 この事を遺憾に思い、私はもちろんボランティアスタッフを募集します!芝桜を植えてみよう!地域の活性を手伝ってみようと思った方はご連絡を下さい!一緒に頑張りましょう!
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※こちらは仁淀川町のひょうたん桜の新看板(ピカピカに光ってます!)
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寺村の観音堂(流光山成福寺跡)
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檮姫の墓
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越知町の栂の森に設置!写真では、まだ完全な設置ではなく仮ですが、
現在は完全に完了しておるようですわーい(嬉しい顔)

 史跡がどこに有るかの目印はもちろん、携帯サイトへの誘導も期待しておりますわーい(嬉しい顔)ハートたち(複数ハート)
posted by makkun at 19:39| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春の陣(歴史ミステリーツアー)が開催されました【3月28日】(その2)

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本日は武田勝頼2010「春の陣」歴史ミステリーツアーその2)【3月28日】が引き続き行われました。  (その1はこちら) 

             主催は武田勝頼土佐の会

 この度の【春の陣】企画が無事に成功し、平家の会、大崎半四郎の会とも連携が取れました事を心より感謝いたします!ありがとうございましたexclamation×2



位置情報集合場所は
(〒781-1501 仁淀川町大崎214 仁淀川町基幹集落センター前)
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位置情報ツアー一行は、まず勝頼夫婦の墓前である鳴玉神社へ向かいました、ツアーでは必ず勝頼の墓が含まれております。
わーい(嬉しい顔)328_02.jpg328_04.jpg328_03.jpg

【大崎半四郎の墓前へ】

大崎半四郎という人物は武田信玄の三男である信仲のさらに嫡男で、
名前を安行と云い、大崎半四郎を名乗ったことが系図からも見られます。
 定説では信玄の三男は夭折(幼くして亡くなる)しております。

ただし、石碑の裏には後の時代(昭和31年)に間違った?内容が刻まれており
それを読むと混乱する方も多いのですが、簡単に石碑の裏に刻まれた内容を記載しておきます。
甲斐国領主武田信玄の次男にして大崎玄蕃の弟なり、天正13年2月8日大崎川井土居に住み、大崎半四郎と名乗る、慶長15年3月14日土佐領主の追手のため討ち死にする

※伝承および系図では、信玄の三男の嫡男(信玄の孫)であることを申し添えておきます。


ぴかぴか(新しい)桜の季節まっさかりの仁淀川町内は、役場総出の交通整理のもと
ひょうたん桜の郷に行きました。車(RV)
ここに半四郎の墓は有りますグッド(上向き矢印)
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参加者は県内はもとより、兵庫県からの参加者もあり、また、大崎半
四郎の会(勝頼の兄の子と武田勝頼土佐の会では推定)との連携もありました。わーい(嬉しい顔)

この日は土佐に残された武田家系図にある勝頼の兄の子とされる仁淀
川町桜地区(ひょうたん桜の名所)に墓所のある「大崎半四郎」の墓所見学
及び同地区で行われる大崎半四郎追悼式典に参加し、交流会や勝頼一族
のミステリーミニ講演会を行いました。
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「大崎」性は、武田家の子孫の性と考えられており、大崎半四郎は地区では
昔から、墓所を守ってきたとのことです。
神事もおごそかに行われ、県内の勝頼ゆかりの「大崎さん」も参加くださいま
した。(大崎、山崎、小崎・・・など関連ありと言われている)


ひらめき半四郎の墓の社には、武田信玄、武田勝頼、武田半四郎のいずれも夫婦の位牌から分け御霊した位牌が昭和31年に、本位牌より分霊され勧請されておりますexclamationそしてここは武田神社と呼ばれております。
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桜から見た風景↓
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位牌や札でございますが、よく見ると武田神社と書かれてあります。
そう、ここは古より武田神社とも云われております。



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ミニ講演会では、勝頼の伝説や関係史跡のことなど会長から説明もあり
また加えて、DVDにより勝頼伝説もビジュアル的にも学び、より一層、理解を深めましたわーい(嬉しい顔)
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(↑新兵器!ポータブルDVDプレイヤー、あちこちに設置してます)


交流会では、大崎半四郎会会長や平家会の方の挨拶もあり、交流を行いました。

【大崎半四郎の会、会長の片岡盛正様】
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現在の勝頼の子孫の大崎氏に関して詳しくお話頂きました。
大崎姓は地域ごとにまとまって、県内に点在し、その場所自体に意味があるとの事です。そうですね、私もそう思います。
津野町の貝(甲斐)の川なんか、その良い例です。

【平家の会からも昨日に続き、新たに2名参加して頂きました。】
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仁淀川流域の観光振興でも、”仁淀川流域の伝説”としてコラボしつつある
平家会では、今年の4/29、10/3に大きなイベントが予定されています。玄蕃太鼓や、安居神楽の奉納も行われます。
(画像チラシ参照)
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 本日の桜も美しかった!ちょっと雪がチラチラして寒かったですが雪
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 次は夏に向けたイベントの取り組みに力を入れて行きます♪
晴れ
posted by makkun at 17:49| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春の陣(歴史ミステリーツアー)が開催されました【3月27日】(その1)

記事は県の地域支援企画員の西森文明さんから送られて来たものを参考にさせて頂きました。(私岡林誠は祭祀からの参加でした)

2010年ツアー第一段企画春の陣(歴史ミステリーツアー)が3月27日〜28日に開催されましたぴかぴか(新しい)

参加者は県内はもとより、兵庫県からの参加者もありました。
また越知町を代表する安徳帝の平家の会からも代表者ら数名がご参加頂きました。

 誠にありがとうございますexclamation

この日は土佐に残された武田家系図にある勝頼の娘とされる越知町の栂の森地区に墓所のある「ゆす姫(檮姫)」の墓所見学及び同地区で行われるゆす姫追悼式典(417年祭)に参加し、交流会や勝頼一族のミステリーミニ講演会を行いました。

位置情報集合場所は、平家の会でお世話になっておる
横倉山ドライブイン片岡の駐車スペース
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車(RV)ゆす姫の墓のある栂の森へ向かいました

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地区では昔から、お姫様として墓所を守ってきたとのことです。
神事もおごそかに行われ、その昔、栂の森に嫁いできたゆす姫に想いを
はせました。

檮姫(ゆすひめ)にはロマンチックなストーリーがありますが
次に詳しく書く予定です。
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ミニ講演会では、勝頼の伝説や関係史跡のことなど会長から説明もあり
また加えて、DVDにより勝頼伝説もビジュアル的にも学び、より一層、理解を深めました。
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交流会では、かつよりくん弁当もふるまわれ、春らしいお弁当に皆、
満足しました。わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)
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また、歴史談議や地域交流の話しに花が咲きました。
このお弁当は、昨年行われた「かつよりくん弁当コンテスト」1位のお弁当
を「いなかのコンビニ押岡」さんとこで、再現して作ってもらいました。
コンテストの様子(武田勝頼土佐の会ブログ 2009.2.16のブログ参照)
http://katsuyori.seesaa.net/index-9.html

ショップ「いなかのコンビニ押岡」さんのサイト
http://oshioka.web.fc2.com/

「かつよりくんセンベイ」も販売中です。
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仁淀川町内などでも買えるようになりました。ぴかぴか(新しい)
詳しくは、武田勝頼土佐の会(岡林)まで!
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/

ひらめき  →その2へ続く
posted by makkun at 16:31| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

大山鎮め〜 勝頼の太陽信仰!?昭和2年の新聞より

武田勝頼と仁淀川町桜の「ひょうたん桜」には伝承が色々と残っております

 今回は勝頼が行ったと云われる「大山鎮め
   最近になって少し分かって来たことがあります

  昭和2年(84年前)12月27日の土陽新聞に勝頼が大山鎮めを行った事が掲載されていたのを発見するに至り、この伝承を詳しく調べてみる機会を得ました
  こちらが昭和2年の新聞です↓
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 大山鎮めの事に関して書かれている事をピックアップすると
  武田勝頼(変名大崎玄蕃)というもの、この地に移住した当時に大山鎮めとして、樹下(桜の種を撒いた場所)に大山祇神を祭祀したと云われる


  樹齢が約430年(地元民は500年と伝える)の
   大藪彼岸桜(ひょうたん桜)に樹下に大山祇神が祭祀されている事は聞いたことがありました。(※伝承の詳細は一番下に記述します)

 それが昭和2年の新聞にも書かれているぐらいですから、だいぶ以前から云われていたんですねひらめき

 さて、この大山祇神が祭祀されている「ひょうたん桜」の場所から
真西を見ると宗津という集落があります、そこに大山祇神社があります
 
 この大山祇神社から春分の日に太陽が昇る場所は、ちょうど勝頼が「大山鎮めを行い大山祇神を祭祀したひょうたん桜」のある場所の真上なのです。
 これには驚きました。太陽信仰なのでしょうかexclamation&question


 ひらめきその伝承を確かめる為に、宗津の大山祇神社に行って来ましたダッシュ(走り出すさま)
  
こちらが神社の参道です
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  宗津の大山祇神社ぴかぴか(新しい)
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  それで、大山祇神社の向いている方向を方位磁石で見てみると
  南東を向いていて、参道も同じく南東へ続いております
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 そして真東には仁淀川町の桜が存在し、この場所から春分の日に日の出を見ると、大きなひょうたん桜の真上にあたる場所から太陽が登るという事です!

 こんな感じでしょうか↓
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 本来ならば3月21日(春分の日)に見に行くべきでしたが、その日は天候が悪くあきらめましたので、また近日日の出を見に行ってみようかと思います。

 グーグルアースの航空写真から見てみるとこんな感じです
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 武田勝頼がこの桜(旧大崎村大藪)に来た時に、
 この地を再興の地と決めて持ってきた杖を立てました
  (この杖を立てるという行為に重要な意味があるようです)

 そして大山鎮めとして、この場所に大山祇神を祭祀します
 そこへ薬として持って来ていた桜の種を撒いたという事です

 大山祇神社から春分の日に太陽が昇る真下にこの桜はあります



 この大山祇神社と、勝頼のつながりとは?
  大山祇神社も、勝頼の生まれた諏訪も、神官は大祝家(おおほおりけ)と呼ばれております。
 実際はここをもっと調べる必要があると思うのです。
 
 ひらめき勝頼がちょうど良いポイントに大山祇神を祭祀したには訳があるはずです。
 この桜という地域は武田勝頼(変名;大崎玄蕃)が開いた土地であると云われておるぐらいですから、集落を作る際に、真西にある宗津を訪れて大山祇神社に行ったのでないでしょうか?

 当時の人間というのは宗教観でこの世界を見ていましたから、常にそのような場所には何らかの配慮なり行ってきたのではないかと考えます。わーい(嬉しい顔)
 
 



PS
  昭和2年の新聞に山田氏が出てきますが、山田氏はこの頃は存在していなかったと云われております。
  また子孫の持っておる全系図には山田氏の記述は出てきません。

  昭和2年というのはすごいですね!84年前の新聞という事ですわーい(嬉しい顔)


 土陽新聞とは?(クリック)

posted by makkun at 13:37| 高知 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

高家武田氏16代目当主さま一行が仁淀川町に来られました

(3月16日)

 昨年より仁淀川町の元教員の西山様から連絡が有り、山梨の県人会で藤本電業の社長様と高知県に武田勝頼の史跡などがある事を話題に出して頂き、興味を持って頂きまして今回の訪問やつながりが実現致しましたぴかぴか(新しい)


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 武田様一行が仁淀川町に来られました事に、一同皆感激いたしますぴかぴか(新しい)
 より良い交流発展へとつなげて下さり誠に感謝しております
 このことを土佐に眠る武田の御霊たちも待っておったのではないでしょうか、本当に嬉しく思います
 また、タクシーの運転手様、安全かつ丁寧にご案内して頂きまして誠にありがとうございます!


  またこの訪問は高知新聞にもカラーの欄で掲載され、反響を呼びました!
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武田邦信様は 高家武田氏16代目当主であり
 「武田家旧温会」顧問 
 武田神社崇敬会総裁
 を務められております 
 邦信様は武田信玄の二男に信親(別名を竜芳)の家系であります。

有泉晴廣様
 元山梨県観光部長
 高家武田様に今回の訪問を提案して頂いた方です、
 奥様と一緒に来られました
 
藤本電業株式会社の藤本社長ご夫妻を始め御一行
元仁淀川町の教員の西山様
  の8名が来られました

 車(RV)午前11時過ぎに、武田御一行様が仁淀川町に到着致しました
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まずは大崎八幡宮22代目の開いた道場であいさつと昼食会にしました
いろいろなお話をしながら、昼食をとり、
道場で保管されている鏡を武田邦信様に見て頂きましたところ
「武田の裏家紋としても使われて女性がよく使う紋」だとご教授頂きました。ぴかぴか(新しい)
 なるほど裏家紋、銅鏡は女性が使うものでありますから、姫が使っておったものであろうという事です
 銅鏡に関しては面白い事に我々の管轄しておる神社には沢山納められていて、女性が使うために作られたものであると思いますが、その美しい作りゆえに御神鏡として使われている神社が多くあります。
 この鏡は武田の裏菱が入っておるということは勝頼の夫人が使っていたことも考えられます。
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 ロマンがまた1つ膨らみましたわーい(嬉しい顔)



【仁淀川町の町長への表敬訪問】
昼食を終えましてから、仁淀川町役場へ向かいました

 仁淀川町町長に表敬訪問いたしました

 大石町長、大野教育長への表敬訪問が実現しましてありがたく思います!
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 町長はあいさつで、仁淀川町の伝統の多い文化や、この町の武田勝頼の伝承の発掘など、これからも盛り上がって行って欲しく、自然も美しいのでぜひ堪能して行って欲しい、また桜も例年よりも早く咲いておるので見頃である事など仁淀川町の良いところを、しっかりとアピールされておりました

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 (そう桜は例年より10日ほど早く咲き始め、4月1日現在もしっかりと咲いております、これほど長く咲く事はとても珍しい事です。)


 武田邦信様から訪問の挨拶を賜りました
 信玄の次男の家系のご説明と、この土佐に勝頼が来ていた事に興味を持たれ、また山梨の方では、勝頼に関する天目山の戦い以降も含め詳細の事に関しては研究されておらず、土佐の方で勝頼に力を入れて研究されている状況を今後も続けて行って欲しい、ここまで会を大きくしてきたわけだから大事にしてほしいとの、とても有りがたいお言葉を頂きました。
 また武田は水軍を有しており、その時の水軍の状況がどうであったかは今後の研究に委ねられるが、船を使って四国へ来るという事は考えられる事であり、香宗我部氏など武田の一族を頼る事も考えられるとお話になりました。感謝いたします
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元山梨県観光部長の有泉晴廣様は、この高知に武田勝頼が来ていたということを聞いて、興味を持たれ武田邦信様をお誘いして頂きましたこと誠に感謝いたします

 山梨と高知の交流がこれからも活発化して行って欲しい、この高知に武田勝頼が来たということが素晴らしい事で、山梨と高知の交流になればとても幸いであり、これからもますます頑張ってお互いの交流に励んで行きたいと熱く語って頂きました
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武田勝頼土佐の会の岡林会長は、この土佐に、16代目当主であり、
武田家をまとめる武田家旧温会の顧問も務められる武田様、元観光部長様、県人会の皆様に来て頂いて、本当に感謝しておると述べ、
 土佐の武田家の子孫もこの場に呼びたかった、ここに武田信玄の次男から続く現当主が来られる事は素晴らしい事であり
 勝頼たちも喜んでおられるのではないだろうか、と話をし感謝を述べ、今後の会の活動や豊富などの意気込みを語りました
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 実り多く、発展につながるお話しが素晴らしい訪問でしたグッド(上向き矢印)

 晴れ役場の外では、記念写真を撮影しましたカメラ
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 【大崎八幡宮】 
 この大崎八幡宮は元は「川井神社」という名称で、武田勝頼が建立したと昔から親しまれております。
 当主様一行が来られましたので、せっかくでございますから、
 武田神社から携えて来たといわれる「木像=武田家先祖」の御神体、神主の系図(史料)と照らし合わせて見て頂きました。
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 【ひょうたん桜・武田半四郎墓】 
 勝頼が薬として持って来ていた桜の種が現在のひょうたん桜となったのだと伝承があります。
 そのひょうたん桜より東へ数分行ったところに、武田半四郎の墓があります。最近になって、この半四郎という人物が誰であるかというのが分かって参りました。次回で説明いたします。
 とても美しい風景が自慢であります、また山梨から来られた方々が、
 ここから見た山の形がとても何処どこに似ているから勝頼はここを選んだのではないかと仰っておりました。私も聞き逃したのですが、それはとても興味があります。
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<武田半四郎墓前>19.jpg20.jpg21.jpg
 会長が半四郎様名の説明をしております
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 この日はとても風が強かったですね


 【鳴玉神社】 
改めまして、鳴玉神社へ行き、全員で勝頼と夫人のお墓を参拝致しました
 戦国の当時では、まさか勝頼の兄弟である信親(竜芳)の子孫が
自分達の墓の場所を知り得ることなど想像もつかなかったでしょうし
来られて参拝されるなんて夢のような素晴らしい出来事ですねぴかぴか(新しい)

 ここでも記念写真を撮りました 
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武田邦信様方々にも参拝祈念帳にサインをして頂きました!
これはありがたいわーい(嬉しい顔)
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 【武田信勝・信房の墓への参拝】 
信勝と信房は勝頼が没した後も活動されていたものと考えられます
この信勝と信房の墓は、系図が示す場所にひっそりと祀られております
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 【寺村の観音堂(流光山成福寺)・勝頼の次男である正晴の墓】 この地は長宗我部氏の家臣である寺村氏の治める土地でありました
そこへ勝頼は武田家の菩提寺として寺を建立します
 昨年より中島住職様が来られて、新たな視点から寺の重要性を考えており、今後も研究される場所です。
 諏訪の復興を願っていた勝頼らしく、母君の寺を思い起こす寺名や厨子などなど興味の絶えないお寺です。
 またここから見た風景が諏訪の観音院の様だと仰られた中島住職様の感じた仁淀川をごらん頂きました
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 観音像を開帳させて頂き、武田様一行に見て頂き、会長のこの寺の由来などの説明を聞いておられました。



 【檮姫の墓】 
越知町の横畠の栂ノ森という場所に、勝頼の娘の墓があります
この墓には、偶然なのか、それとも人為的なのか、墓石には天然の白い筋が武田菱を象っておるように見えます
 この地区の区長さんが、墓守を続けていらっしゃいます
後日このお墓で新たな墓が出てくるのですが、それは次回に記します
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 この姫の夫である左馬助に関しても伝承があり、それも次回に記します。とてもロマンチックな伝承です。るんるん



 晴れ長時間に渡る訪問も終わりの時刻となり、
武田様御一行もとてもお疲れになったかと思います。


 越知町の横倉の橋でしばしのお別れの挨拶とし、山梨へ私たちも訪問させて頂く約束を致しまして、無事な帰途をお祈りさせて頂きました。



   本当にありがとうございましたexclamation×2
    これからも勝頼の研究に邁進して行きたいと思いますわーい(嬉しい顔)




活動から約一年と少しでありますが、このような大きな展開になった事は素晴らしい事ではないでしょうかわーい(嬉しい顔)

 大崎玄蕃が武田勝頼であると、公言をし始めてわずかな間に、
諏訪の観音院からご中島住職様が来られ、400年の法要をして頂き、

また多くのファンや研究者が訪れ、武田関係者や末裔の方々から情報を頂き、信玄の次男である信親(別名を竜芳)から続く現在の殿様に来て頂いて本当に感激しておりますexclamation×2






 
posted by makkun at 20:37| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【香宗我部親秦の墓・宝鏡寺跡】長宗我部ツアー記(昨年の11月21日)

昨年の11月21日(土曜)の事で恐縮です、PCの復旧に伴い
写真が2つありましたので、それも含めてツアーを思い起こしながら記事を書きますわーい(嬉しい顔)

(長宗我部ファンクラブの名札!オリジナルを頂きましたるんるん
見て下さい!勝頼の家紋まで入っており、良いデザインでとてもお気に入りです。PCの横に飾って忙しい時に力をもらってますわーい(嬉しい顔)
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 高知駅発
朝、なんとかギリギリ出発に間に合いました。私の家から1時間半ほどかかります車(セダン)
 急いでいたため、カメラを忘れるというミスで、携帯で2枚ほどしか撮影できておりませんあせあせ(飛び散る汗)
 長宗我部ファンクラブに入ってから初めてお会いする方がほとんどで、皆さん県外から多く来られていました。
 
 歴史民俗史料館長の宅間先生が今日は同行できなかったので残念でしたが、長宗我部ファンクラブの方々に沢山お会いできた事は本当に光栄ですパスワードぴかぴか(新しい)

 バスダッシュ(走り出すさま)バスで空港へ向かい、残りの参加者を出迎えまして、初めに向かった場所は、香宗我部親泰墓であります宝鏡寺跡地です。
 ここへ来るかも?という期待を持っていたのでとても嬉しかったですね。

 【宝鏡寺跡・香宗我部親泰墓所】
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 かわいい香宗我部親泰と武田勝頼との関わりが系図などの史料や伝承から分かっております
 天目山以降
上州へ落ち延びた武田家一行は、香宗我部の手引きにより、伊豆の国の初根ヶ原に行き、そこから富士川を下って、瀬戸内海に入り、今治へ行きます

勝頼が落ち延びた当時は、香宗我部氏は長宗我部元親の弟である親泰が実権を持っており、どちらかといえば長宗我部氏の元で動いていたわけです。
 伝承では、親泰の信頼をおく者(もしくは親泰本人?)が、武田勝頼と通じていたと言われております。

 さらに土佐へ第一歩を記したのは、大豊町そこから、立川峯際空石 → 植田村西屋敷 → 大谷村 → そして楠目大法寺香宗我部氏の本拠地である現在の香美市(香美郡土佐山田)の寺に招かれます。(この場所には他に武田神社などがあり、勝頼の子孫である武田家が代々守って来ております)

 さらには、長宗我部氏に仕えておった片岡氏の本拠地である、川井村へ向かわされます。
 その土地なのですが、長宗我部氏と関係の深い土地です。まず、武田の菩提寺を建てた寺村は、長宗我部氏、香宗我部氏に仕えておった寺村氏の土地です。
 また、その後に神社を建立した大崎村川井もまた長宗我部に仕えていた中島氏の城でありました。

 このように香宗我部親泰との関わりなくしては土佐に勝頼が来る事は無かったのであろうと思われます。
 ここまで武田が擁護された背景には何があるのか?

 それを思いながら、香宗我部の墓石群を見ていると、香宗我部親泰がどのような思いで戦国乱世に生きて、天下をどのようにするべきと動いていたのだろうか、とても感慨深いですし、遙か昔のことであっても、知れる限りの足跡から、多少なりとも思いを察することは出来そうに思います。

 香宗我部の助けがあった事が、そもそも土佐の武田勝頼の数多とある伝承のルーツなのですから、長い時間をかけてじっくりと考察したいですね
ぴかぴか(新しい)

 【香宗我部家】は元々武田氏の家系で 、四代目武田信義の子、忠頼(一条次郎)は、源頼朝に殺されるが、・・・(これに関しては諸説あり)       
 その子(一条、甘利、香宗我部)秋道を家臣中原秋家が補佐し、共に土佐に入る(建久四年1193)、秋道は秋家(香長平野
の東部宗我・ 深淵現野市)の地頭職を相伝、香宗我部秋道家をなのる(香宗城、現野市)後の香宗我部」親康と云う。
*中原秋家は山田に移り、山田氏の祖となる。山田氏の城として楠目城跡がある(土佐山田町の埋蔵文化調査報告書より)
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 香宗我部に関しての詳細はこちらの↓サイトに詳細があります
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/koso_k.html
 
ちなみに武田勝頼の戒名に「秋道」という文字が見られます
「成福院殿榮秋道勝大居士」
 意味を成すのかどうなのか、素人の私には分かりませんが、大事なキーワードとして私は考えております。

 また武田=甲斐
  というのが主な勢力圏だと一般的に云われておりますが
 甲斐では三枝氏など他の大きな勢力が存在していたことから、
 武田氏のみが大きな力を持っていたわけではありません

 それに比べて安芸国(広島県)では鎌倉時代に守護になっており、
 さらに各地に所領を持って南北朝期まで圧倒的な力を誇っておりました。
 この安芸という地名が広島と高知で同じであり、武田の末裔である香宗我部氏が土佐の安芸に存在するのも面白いです

 どうやら土佐と広島が安芸で繋がっておる背景には 
 蘇我氏は孝元天皇より出た武内宿祢の子孫が土佐に移り住み安芸氏と名乗ったという事なのです。
 武内宿祢(たけうちすくね)という人物は伝説的なヒーローと考えていただいても良いかと思います。詳細はこちら

 【高知の安芸市史(資料編)にはこう書かれております】
  元来安芸国安芸郡安芸村とは広島なり。
  この地に多気神社と称する古社あり
  その祭神は孝元天皇及び武内宿祢(たけうちすくね)を祀る
  此は土佐の地に武内宿祢の子孫移り住し子孫が繁栄し、
  社を築きて祖先を奉祀せしなるべし
  然るに土佐奈半利に多喜神社と称する延喜式社あり
  祭神は孝元天皇及び武内宿祢(たけうちすくね)を祀る
  この広島県と高知県安芸と祀神誌として一脈相通ずる処あり
  然案ずる処中国地方に住せし武内氏の子孫土佐に来たりて
  奈半利に住し子孫繁栄し
  是亦先祖たる多喜神社を奉祀せるなりしを推す。
  是して其の住する土地を祖先の地名をとり安芸とせしならん
  偶左大臣蘇我赤兄土佐に配流し来り
  祖先を同じゆせる族と会見し其の地名を取りて安芸氏と称へしならん
  
  又或いは安芸の大領域は守護を承りたるより其職名を言い伝へなす
  内氏も亦革りしやも知らず
  彼蘇我氏が何氏より又何時代より安芸と名のりしかは明ならざれ共
  赤兄より11代の孫実康、その子 実光、実俊の事どもを平家物語
  及び土佐国編年記事畧に「安芸の大領実康が子に安芸太郎、同次郎」
  とある 処より、鎌倉時代前期すでに安芸氏と改称せるを知るなり

  でましたね「蘇我氏ぴかぴか(新しい)   
  長宗我部氏は秦氏または蘇我氏の子孫だという説もありますし
  元々は秦氏蘇我氏との間に強い従属関係にもありました
  (秦氏の子孫が信濃(現在の長野県全域)に移って、さらにその子孫の能俊が土佐の長岡郡宗部郷に移り住み長宗我部になったとも言われております)

  その秦氏は多氏と底流でのつながりがあり、多氏は諏訪の国造になっておりました(諏訪氏も信濃国(長野県))
  諏訪というと武田勝頼の出生は諏訪氏です  
  蘇我はスゥオと発音されておったらしく(諏訪)ともピンインで同じとも言われております

  全てを当てはめるという事にはならないかもしれませんが、
  いずれにしましても、関連が無くはないんです晴れ
    
 

 ■安芸市立歴史民俗資料館
  ここに来るのも初めてです、安芸の事をもっと知りたくなった事はいうまでもなく、安芸市史(資料編・民俗編)の2冊を購入して、晩酌しながら読んでます(ですから集中力が持たず何度も読み返してます(笑DSC09909.JPG
  ↓
 ■安芸城跡
  今も土塁や石垣が残るなど、とても印象的でありました。
  また改めてゆっくり行きたい場所ですね
  ↓
 ■野良時計
  初めて行った場所でよかった(超短文ですみません)
  今度は家族と一緒に探索したいです
  ↓
 ■岩崎弥太郎の生家
  岩崎弥太郎に関してはまた別件で記事にしたいと思っております
  ↓
 ■矢流砦戦跡
  ここで国虎と長宗我部元親の戦いがあったんですね
  この戦いの後、香宗我部親秦は安芸城に入るんです
  ↓
 ■などなど

 いやー盛りだくさんのツアーでした、
とても面白かったですね、もうだいぶ以前のことなのではっきりとは思い出せないのですが、やっと記事を書くことができるようになって良かったです。わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)
 この後、皆さんと慰労会?で盛り上がりました、本当にありがとうございますexclamation×2

 PS
実は記事は12月にだいぶ出来上がっていたのですが、PCの故障により5つの新記事が消滅もうやだ〜(悲しい顔)
 仕事もいまだかつて無いほど忙しくなり、子供も小さく、多くの諸事により時間をとられていたので、本当に遅くなりましたあせあせ(飛び散る汗)
  
 4月からは仕事が激減しますので、また記事や会に打ち込めます!
どうぞ宜しく!!ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
posted by makkun at 11:09| 高知 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月31日

仁淀川流域郷土文化芸能連絡協議会の設立

こんにちは
昨年からの活動をまず紹介させて頂きますわーい(嬉しい顔)
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昨年より「手踊りサミット」と称して活動してきました
会は度々行われ、今年に入って具体的な活動内容を決めました

地域の芸能の活発な交流を目指して、今年の2月5日に各団体の代表の方たちにお集まり頂き
仁淀川流域郷土文化芸能連絡協議会」が設立されました

(設立年月日など詳細)
日時:平成22年2月5日(金)13:00〜15:00
場所:仁淀川町大崎214 仁淀川町基幹集落センター2F会議室

 
昨年の平成21年12月4日に行われた手踊りサミットでは
文化芸能のネットワーク活動及び振興等について
 講師:歴史民俗資料館副館長 猪野 満氏にお越し頂いて、事例を元に様々なお話をプロジェクターなど駆使して説明して頂き、新しい情報などを聞く事ができました。他地域の取り組みなどを聞くととても勉強になります。ありがとうございましたexclamation
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手踊り団体等意見交換会での主な意見では

歌い手や太鼓打ちの育成が急務である。
由来など伝えながら、活動していくことが大切。
地域の住民が誇りにしていけるような活動にしたい。
教育上のことからも、歴史や物語を知らせることが大事である。
以前は地域の垣根を越えて活動してきたものである。
組織化して活動していけば、継続していくことも可能ではないか。
時々集まって、練習会や講習会などやれば、後継者育成につながる。
発表の場があれば、やりがいも出てくる。
各団体が一同に集まるのは、スペース上難しいかもしれない。

などの意見が出ておりました。
今回はその意見と会での話し合いを元に、目的と会則を作成し
役員がそれぞれ決定致しました
DSC00016.JPGDSC00019.JPG

連絡協議会会長は越知町の黒原保様とし、武田勝頼土佐の会で事務などを担当する事で決定致しました。
DSC00026.JPG写真は会長の黒原さん
・会  長(黒原 保 )越知町
・副 会 長(澤村 重隆)佐川町(尾川)
・事務局長(岡林 照壽)仁淀川町(大崎)
・会 計 (岡林 誠 )仁淀川町(大崎)
・監  査(松本 和美)いの町(柳野)
・運営委員(山根 康孝)日高村
     (細木 美稲)佐川町(瑞応) 
     (岡部 愛子)仁淀川町(狩山)
今後とも宜しくお願い致します!るんるん

会の目的は
仁淀川流域の市町村に残る手踊りなど貴重な歴史的郷土文化芸能を存続・保全するため、互いの団体が連携・協力し、親睦を図りながら地域おこしにつなげていくことを目的とする。

(事業)
 (1)団体間相互の情報共有を行い、郷土文化芸能に関するイベント事業。
 (2)郷土文化芸能等に関する保存・存続・啓発等に関する事業。
 (3)その他目的達成上必要な事業。


これからの少子高齢化や芸能離れの時代、このような活動が活発に行われて行く必要があると思います。
 武田勝頼土佐の会では、地域の伝統に関わる部分がとても大事であります。将来、地域の芸能が廃れることなく守って行きたいですね
NEW

いの町の柳野から来ていただいた方は何と私が高知高等学校に通っていた時の教師でありますexclamation×2かなり驚きましたわーい(嬉しい顔)昔から全然変わっておられないので、息子さんの世代かと勘違いしました(笑
これから一緒に活動して行けるかと思うと楽しみですね、時代の流れを感じます。


現在の参加6団体(連絡協議会)
団体名 大崎玄蕃踊り保存会
住  所 吾川郡仁淀川町大崎   

団体名 尾川地区活性化協議会
住  所 高岡郡佐川町本郷耕   

団体名 柳野豊年踊り保存会
住  所 吾川郡いの町小川柳野   

団体名 瑞応の盆踊り保存会
住  所 高岡郡佐川町瑞応  

団体名 狩山豊年踊り保存会
住  所 吾川郡仁淀川町大平   

団体名 紅葉会
住  所 高岡郡日高村本郷
  

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会の発足と新たなる発展を祈念いたしますグッド(上向き矢印)





posted by makkun at 15:13| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

今年最初の記事!サーバーPC復活

今年最初のブログとなります
 どうぞ今年のブログも宜しくお願いいたします晴れ

 昨年パソコンのハードディスククラッシュでデータ全滅
大きな仕事がプライベートで相次いでいたため新しいPCに移行できず、本人の体調の関係で長〜く更新できませんでしたことを記事を待ち望んでいたかたがたにお詫びいたします

 さて武田勝頼土佐の会は、昨年に増す勢いで活動を進めておりますぴかぴか(新しい)

 まずは何から書くのか沢山内容がありますが、
高知県の補助事業の対象となり、観光のプロジェクトに力を入れていきますグッド(上向き矢印)

 春の陣(3月27日(土)〜28日(日))として、1泊2日の花見を取り入れた史跡めぐりツアーを開催いたします

 夏に向けては、手踊りサミットが大きくなりつつありますので面白いイベントとなります(ちょうどお盆時期ということでヨサコイ踊りとかさなること等からよさこいチームの発足は来年へ持ち越しとなりました)
 
 武者行列!を予定しております。
 甲冑は通常では数十万円もするものなので手が出ませんが
 紙を使って本格的な甲冑を数万円で作成するイベントを検討中で、
 会の方からは、早速募集を募ってくれと言われております

 また10月には平家の会との合同イベントも考えられておりますので今後の動きを楽しみにしてください。

 また、新たな資料や、伝承の公開を用意しております


 まずは、PC復活でWEBの再スタートとなります。本年もよろしくお願いします!わーい(嬉しい顔)るんるん

 PS.プライベートのパソコンを久しぶりに操作するので、ブログのやり方を思い出すのにも大変、携帯サイトも作成中です
posted by makkun at 11:45| 高知 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

土佐の伝統芸能 11月29日(日) 13:30開演

今週末に行われる仁淀川町の神楽の公演を紹介しておきます。

県民文化ホール自主文化事業
土佐の伝統芸能 佐喜浜俄と仁淀川町のお神楽
2009年11月29日(日) 13:30開演

県民文化ホール
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~hall/jigyou/tradition.html

 tradition.jpg

 今日も練習を一度やりましたが、久しぶりにやると足腰がイタくなります。
 私ごとで恐縮ですが、安居神楽で「山主の舞」を行います。
ぜひ見に来てください。

安居神楽の演目(予定されている順番)は
1,将軍弓の舞
2,山主の舞
3,長刀の舞

池川神楽も、名野川磐戸神楽もヨロシク!ぴかぴか(新しい)

posted by makkun at 17:33| 高知 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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